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2006年2月19日 (日)

寺山修司 - 経典なき密教

泥の中から出て来ながら、蓮は美しい花を咲かせる。  

だが、その蓮の花の鮮やかな赤色を、反逆者の血のしぶきと見るか、生身の喩えと見るか、エロチシズムの煩悩と見るかは、私たちの自由というものでなければならない。  

私が、死という言葉を口にしなくなったのは、ある夜、祖母と近くの蹄鉄屋の源二郎という毛深い男が、寝ているのを見たときからである。  

赤い蹴出しからころがりでた祖母の下半身は、私の思っていたよりもはるかになめらかで色白く、しかも祖母の鳩のなくような喜びのしのび声は雨戸のすきまから覗いていた少年の私をふるえあがらせた。 死ななければ見られないと思っていた地獄が、こんな間近で見られるのとは、何という素晴らしさだろう。  

私は、そのとき何の宗派にも属さぬ、自分のためのたった一人の密教の徒になっていたのかも知れない。    

                  寺山修司 - 空海

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綱領なき革命・経典なき密教という寺山修司の原光景なるテ-ゼは山岳仏教をきりひらいた空海を論じたこの文章に発見される。寺山修司哲学とはゆえに個人こそが根拠地であるとするのである。

綱領なき革命とはひとりの革命の徒であり、経典なき密教とはひとりの密教の徒である、そのような現在を生きている人間こそに現実原則とさまざまな真理は内在し物語が発生する。それゆえにダイアロ-グとしてアクセスする接続回路を赤い情熱が疾走する。  

思想の望郷・文学編を読んで私はやはり近代を思った。同じ東北の文学者である石川啄木と太宰治への批判はかつて吉本隆明が日本共産党員詩人であった壷井繁治の戦争協力詩の存在その転向を鋭く追及したような厳しさがある。詩人の批評とは革命綱領をめぐる党派闘争の兄弟殺しにも似ている。  

鶴見俊輔たち思想の科学研究会が編集した『共同研究・転向』は、1962年に初版が発行されて以来、60年代・70年代・80年代の革命家たちに読まれてきた。それは論理的に社会科学から展開されている。 それよりもすざましい兄弟殺しとしての階級が登場するのが文芸批評である。かつての70年代までの文芸批評は階級闘争が必ず生み出す兄弟殺しとしての党派闘争ががあらわれていた。 しかし寺山修司の文芸批評はおのれの個人的な独自的な思想の根拠地を生み出すためにあった。  

寺山さんは近代陣形の内面である壁に囲まれたとげとげしい四角の精神の呪縛から自由の基地を作った人であると思う。その言葉には綱領なき革命・経典なき密教が呪術のように内在化されている。ゆえになかなか概念化できないのである。自分を物語らねば寺山さんの言葉にアクセスできない。

ハルキ文庫『石川啄木を読む-思想の望郷・文学編』は十三(とさ)の砂山の台本にある言葉の原光景が説明されている。鏡花を読む、そのファイルは土俗と密教が混在し、誘発された。寺山さんの台本の言葉はある土俗伝説ある文学ある消された住民の歴史が圧縮されている。そして批評の動物的眼光は詩人特有の鋭さがある。

 これまで私がまともに読んだのは83年国文社発行の寺山修司演劇論である。


さらば箱舟 草迷宮 寺山修司の声が聞こえる 初恋・地獄篇 ◆20%OFF! 負け犬の栄光 討議詩の現在 望郷 ジェネオン エンタテインメント 田園に死す 「演劇実験室天井棧敷」の人々 異形の宴【CRBP-10022】=>異形の宴 不良少女入門 宇野亜喜良60年代ポスター集 寺山修司俳句全集増補改訂版 ポニーキャニオン 武田真治/身毒丸 サード ニューマスター版 誰か故郷を想はざる改版 抒情の世紀 われに五月を 寺山修司幻想劇集

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