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2006年4月23日 (日)

短編小説 「参謀 世耕弘成」

短編小説 「参謀 世耕弘成」

http://www.asyura2.com/0601/senkyo21/msg/197.html


投稿者 愚民党 日時 2006 年 4 月 23 日

 
 飯田勲隊長は舞台袖から再開された結城純一郎総裁の演説をしばらくながめていた。防
衛隊員にあとをたのむと任せ、袖から楽屋口へ歩いていった。防衛隊の控え室には、政治
少年山口音矢が椅子に縛られていた。

「これから打ち合わせをする、ヤツは別の部屋に移動させ監視しておけ」

 隊長は防衛隊員に指示を出した。ふたりの防衛隊員が椅子に縛った音矢を持ち上げ、部
屋から移動する。

 控え室にはそれぞれの防衛部署からキャップが続々と集結してきた。防衛隊員の制服の
ズボンとジャンパーは黒色だった。布の素材は機動隊の制服と同じ仕様だった。それぞれ
が黒い野球帽をかぶっていた。上から下まで黒衣装だった。情報チームのキャップが切り
出した。

<p>「靖国神社境内には続々と旧右翼が集結しています。国家生活党大会撲滅集会が午後一時<br />から開催されています。主催は旧右翼の連合ですが、自民党青年部の杉山大蔵が連帯あい<br />さつで来ております。旧右翼連合による集会開催は、自民党幹事長の武部勤による策略で<br />あることは間違いありません。自民党は旧右翼を使い国家生活党大会が中止に追い込まれ<br />るよう画策しております。午後四時からデモ隊が出発します。コースは靖国通りから駿河<br />台に向かいお茶の水駅で流れ解散となっておりますが、旧右翼連合はわれわれの大会会場<br />である九段会館に突入してくると推測されます。すでに旧右翼の街宣車は三十台ほどが靖<br />国神社の門の前に並び、国家生活党を皆殺しにしろとマイクでがなり上げております。街<br />宣車の中には日本刀や長ドスなどが準備されております。武器に刃物を使用することは間<br />違いありません。街宣車もろとも九段会館に突入してくることは十分に予測できます。靖<br />国神社で定点観測しているルポからの報告によりますと、現在の集会参加者は約二千人、<br />デモ隊が出発する頃には三千人にふくれあがると推測されます。他方、左翼ですが駿河台<br />明治大学アカデミーコモンにおいて午後一時からファシズム国家生活党大会粉砕集会が開<br />催されています。ルポ報告によりますと全国大学全共闘、全国反戦青年委員会、全国反帝<br />高校生評議会による主催です。屋内アカデミーホールで一千名、屋外明大スクエア(広場)<br />にて一千名、合計数およそ二千人。デモ出発は午後五時です。コースは駿河台から靖国通<br />り、新宿駅解散です。新宿駅において暴動をたくらんでいると推測されます。左翼過激派<br />は靖国通りから九段会館に突入してくる推測されます。武器は火炎ビンを使用することは<br />間違いありません。集会参加者が占拠したアかデミーコスモの中に火炎ビンが入ったケー<br />ス箱が外から運ばれたのを定点ルポが望遠鏡で確認しました。旗竿部隊は五百人ほどです。<br />竹竿によって九段会館に突入してくると推測されます。鉄パイプで武装した決死隊の存在<br />はまだ未確認ですが、おそらく一〇号館か一四号館に待機しているのだと推測します。左<br />翼は格差社会と階級の固定化による下層国民の不満を暴動によって爆発させる戦術です。<br />国家生活党大会を実力で粉砕し、労働者階級のたぎる怒りを内乱へと転化せよと絶叫して<br />おります。以上」 </p>

<p> いよいよ首都決戦の激突がはじまると控え室には緊張が走った。 </p>

<p>「武道館の現状を報告しろ」 </p>

<p> 隊長は参謀で臣民軍担当の副隊長である世耕弘成参謀に促した。 </p>

<p>「武道館は現在、ロックコンサートパーティを偽造し、武道館の中はロック音楽の大音量<br />がうなり国家生活党メディア音楽団員が舞台で演奏しております。全国から結集した国家<br />生活党臣民軍兵士はロックコンサートの観客を偽装し、一万名が武道館で待機しておりま<br />す。完璧なチェック体制により、敵のスパイや警視庁公安など、一匹として武道館へは潜<br />入させておりません。大会をなんとしても防衛するという戦闘意欲に兵士ひとりがひとり<br />が燃え上がっております。いつでも動けます」 </p>

<p>「よし、臣民軍を午後三時に武道館から出発させろ。敵は靖国神社の旧右翼と駿河台の左<br />翼だ。一挙に壊滅しろ。わが党軍の戦略は大会を成功させることにある。戦術としては大<br />会防備でありながら、先制的に戦場を創出することにある。大会防衛でありながら先取り<br />として敵に攻撃を加える。戦場を敵味方彼我の関係において、わざとこちらから創出し、<br />最初から最後まで主導権を奪取する作戦だ。九段会館の外広場は旧右翼突入によって戦場<br />となるため、大会は武道館に移動する。九段会館での大会は結城純一郎総裁の大会議案基<br />調報告が午後三時半に終了予定となっている。ここで一旦大会を打ち切り、代議員一千名<br />は九段会館から武道館に向かってもらう。九段会館からの出発は午後三時五十分とする。<br />九段会館ホール裏の舞台搬入口から縦隊で党幹部と代議員は九段会館から脱出。九段会館<br />の裏から千代田区役所の裏を通過し、千代田公会堂の脇から内堀通りに出て、清水門から<br />北の丸公園に向かう。北の丸公園から党幹部と代議員が武道館の中に入る。党幹部と代議<br />員の隊列による移動行程の脇は防衛隊が固める。武道館での大会再開は午後六時とする。<br />それまで代議員には夕食をとってもらう。臣民軍、防衛隊、党幹部、代議員の夕食は、お<br />にぎりだが、国家婦人同盟が武道館に届けてくれる。夜の部は都道府県本部と各支部から<br />選出された代議員の発言となる。明日の予定だが武道館において午前の部は引き続き代議<br />員発言。午後の部は午後三時まで代議員発言。その後、大会報告の採択。そして中央幹部<br />委員の選出となる。午後五時が大会終了予定。今日と明日が大会防衛の決戦だ。臣民軍は<br />三個師団とする。第一師団は靖国方面隊、四千の部隊で靖国神社の旧右翼に襲い掛かれ。<br />火炎ビンを武器につかうと靖国神社を燃やしてしまう危険性がある。武器はゴキブリ退治<br />のバルサンをつかえ。目潰しの煙を一斉に投げ込みナチス棒と鉄管で殲滅しろ。デモ隊の<br />先頭を九段会館への突入へとおびき寄せ一挙に襲え。戦場は靖国神社境内と九段坂靖国通<br />りだ。左翼の定点観測ルポも靖国神社にいるはずだ。わが臣民軍が旧右翼部隊を壊滅すれ<br />ば、その情報はすぐさま明治大学で集会を開いている左翼どもに伝わるはずだ。第二師団<br />は駿河台方面隊。四千の部隊で明治大学から出発する左翼デモ隊に襲い掛かれ。戦場は明<br />大アカデミーコモス前の明大広場と駿河台明大通りの坂だ。左翼は火炎ビンを武器として<br />使用するだろう。高圧水銃のドラゴンを出動させ、水攻めにしろ。敵は烏合の衆として逃<br />げ惑う。そこを襲い掛かれ。駿河台で壊滅しろ。靖国通り、駿河台明大通りも車の交通が<br />激しい道路だ。車の往来をスットプして戦場に転化しろ。第三師団は武道館防衛隊。二千<br />で武道館防衛に従事しろ。武道館から靖国方面隊と駿河台方面隊を送り出した後の武道館<br />防衛の指揮は、防衛副隊長である世耕弘成参謀がする。大会防衛隊が九段会館から党幹部<br />と代議員を無事、武道館まで移動させる間が防衛の勝負だ。靖国方面部隊は旧右翼を殲滅<br />した後、武道館にすぐさま帰還し、世耕弘成副隊長の指揮下に入り武道館防衛体制に従事<br />しろ。駿河台方面部隊は駿河台で決着がついたら武道館へと撤収を開始しろ。警視庁機動<br />隊が騒乱罪を適用し、武道館を包囲するだろうが、ここで長期持久戦として対峙しろ。こ<br />の戦争は臣民軍の長征への出発としてある。思想戦争として戦え。ふたつの戦場での勝利<br />をもって、われわれは日本臣民軍創設に向けて、自衛隊に乗り込む。自衛隊を日本臣民軍<br />として再編するためである。今日の戦争は国家生活党臣民軍から日本臣民軍への飛躍をか<br />けた戦争であることを肝に銘じよ。イデオロギー戦争としての実践訓練だと思え」<br /> 隊長はもはや将軍であると防衛隊のキャップたちは思った。ふたつの戦場、首都決戦に<br />誰もが武者ぶるいした。膝がガクガクと自動的に動いている。大会を成功させ、同時一体<br />として、ふたつの戦場で勝利する。今日の戦争の後も警視庁機動隊との長期持久戦の対峙<br />は、突撃隊である国家青年同盟が占拠する自民党本部ビルと武道館というふたつの場所と<br />なる。指導主体が問われていた。 </p>

<p> 将軍である飯田勲隊長はさらに防衛軍事方針を伝えた。 </p>

<p>「地下にもぐった合衆国統一党に不気味な動きがある。有力な情報によると、やつらは在<br />日米軍と結託し、九段会館にテロ攻撃を仕掛けてくるらしい。その内容は米国大統領府が<br />ニューヨーク国際貿易センターのツインタワーを遠隔操作による無人飛行機で激突させ、<br />それと同時にビル内に仕掛けた高熱爆弾を爆発させツインタワーを崩壊した戦術。油断す<br />るな。帝都東京の制空権は安保条約が破棄されたが今だ在日米軍にある。自衛隊がわれわ<br />れの軍であるなら、上空の防衛は貫徹できるのであるが、自衛隊を米軍の下請け機関から<br />日本独立軍への再編止揚は途上にあるところだ。九段会館、武道館の防衛は何よりも上空<br />に注意しろ。向かってくる飛行機を発見したら、すぐさま党幹部と代議員を外に非難させ<br />ろ。米軍は、わが党軍戦士による在日米軍基地破壊炎上同時多発ゲリラ攻撃の復讐戦を必<br />ず行うはずだ。アングロ・サクソンを甘くみるとわれわれは撃破されてしまう。かと言っ<br />て再び米国の植民地に戻ることはできない。国家生活党が壊滅されても日本独立はなしと<br />げるしかない。大会が成功するのか、それとも失敗するのか、日本独立を宣言する国家生<br />活党大会を全世界が注目している。国家生活党大会が成功すれば、それに勇気付けられア<br />メリカ合衆国内の国家生活主義者が、米国大統領府自らが911テロを策動した究極の大<br />陰謀を暴露する。アメリカ合衆国内部からの告発が勃発すれは、ヨーロッパの国家生活主<br />義者が911テロとは国際金融動物とアメリカ合衆国影の政府と米国大統領府によるプロ<br />グラム起動であったことを情報戦として暴露していくだろう。国家生活党大会が失敗すれ<br />ば911テロの真相追究はアンダーグランドに閉じこめられてしまう。国際金融動物は国<br />家を破壊し、グローバル金融資本主義によるワン・ワールドたる単一世界政府をつくろう<br />としている。やつらにとって国家とは生活の母体ではなく、為替相場の投機対象でしかな<br />い。全世界でナショナルなオリジナリティある国家生活主義者が胎動することをやつらは<br />マスゴミを使って阻止している。やつらは国家と庶民の自立的な生活基盤を破壊しながら<br />世界金融市場の奴隷へと国家を落とし込めてきた。ゆえに国際金融動物は合衆国統一党総<br />裁の竹中平蔵を全面的に支援している。わが防衛隊は竹中平蔵による国家生活党大会への<br />テロ攻撃を断固として粉砕する。合言葉は、やられる前にやりかえせだ。地下にもぐった<br />竹中平蔵を、現在、国家生活党の秘密軍司部門が必死になって探索している。防衛隊の諸<br />君は武装的身体を全面的に発動し、最後まで大会防衛に従事してほしい。戦争の基本は何<br />度も言うが防備である。敵の攻撃を失敗させる武装的構えを思想として内固めてほしい。<br />以上」 </p>

<p> 飯田勲隊長から防衛軍司方針を聞くと黒い衣装の防衛隊キャップたちは、控え室からそ<br />れぞれの部署へと戻っていった。副隊長の世耕弘成参謀は兵站部に武器の準備を携帯電話<br />の暗号メールで送信すると、武道館で待機している臣民軍兵士に指示を伝達すべく、すぐ<br />さまオートバイで武道館へと走っていった。携帯電話は皇居前の警視庁高層ビルにある電<br />波盗聴システムによってスキャンされている可能性があった。臣民軍には口頭で伝達する<br />のが安全だった。 </p>

<p></p>

<p> 国家生活党臣民軍司令官の江堀貴之は三十三歳だった。彼は、ホリホリモンという愛称<br />で臣民軍兵士から呼ばれていた。ホリホリモンは九段会館からオートバイでやってきた防<br />衛副隊長世耕弘成から、武道館午後三時出発の命令と戦闘戦術を受け取り要細の作戦を地<br />図を見ながら打ち合わせると、副司令官である熊谷史也に、分隊長を楽屋に集めろ! と<br />命令した。熊谷史也は二十八歳だった。 </p>

<p> 一階、二階の客席には臣民軍兵士一万が、すでに武装的身体で待機している。分隊長の<br />指揮下には五十人の兵士がいた。 </p>

<p> 二百人の分隊長が大きな楽屋に集まってきた。世耕弘成参謀は飯田隊長の防衛軍司方針<br />を分隊長の前で伝達した。 </p>

<p>「第一師団、四千で、靖国神社の旧右翼にアッタク。第二師団四千で駿河台明大の左翼に<br />アタック。靖国方面隊は副司令官熊谷が指揮をとれ。駿河台方面隊は司令官江掘が指揮を<br />とる。第三師団二千は武道館を防衛する。武道館防衛はおれが指揮をとる。靖国方面隊の<br />旧右翼デモ隊のアタック時刻はデモ隊が靖国神社から出発する午後四時。戦場は靖国神社<br />境内と靖国通り。第一弾は一斉に煙に巻くゴキブリ退治のバルサンを投げろ。第二弾はラ<br />ッカーシンナーが入ったペットボトルを投げろ。敵はバルサンの煙に驚嘆しラッカーシン<br />ナーの飛散でラッリてしまい混乱する。デモ隊が混乱したらナチス棒と鉄管で襲い掛かれ。<br />敵を靖国神社から下る九段坂で壊滅しろ。靖国通りは車の往来が激しい道路だ。車両の交<br />通をストップにしてから前、後ろ、両側面の四方からアッタクしろ。アタックは敵ひとり<br />ひとりの足が骨折するまで撲滅しろ。駿河台方面隊のアッタク開始時刻はデモ隊が明治大<br />学から出発する午後五時。ここでも敵の部隊を明治大学構内に残存させないように、デモ<br />隊の後尾の最後が明治大学を出た瞬間を狙え。武器は兵站部が準備している。戦場は駿河<br />台の下り坂だ。左翼は火炎ビンを武器として使用するので、高圧水銃のドラゴンで水攻め<br />にしてからアッタクする。ここでも前、後ろ、両側面の四方からナチス棒と鉄管で足を骨<br />折させ撲滅しろ。旧右翼デモ隊を壊滅したら靖国方面隊は、すぐさま武道館に帰還し、お<br />れの指揮下に入り武道館防衛に従事しろ。駿河台方面隊も左翼デモ隊を壊滅した後はすぐ<br />さま武道館に帰還し、武道館防衛に従事しろ。兵站部はクロネコヤマトに偽装している。<br />各分隊は靖国通り、駿河台通りのに止まっている偽装クロネコヤマトの宅配車から武器が<br />補給される。五十人の分隊に武器と負傷手当応急処置医薬品を積んだ兵站部の偽装クロネ<br />コヤマト宅配車一台が配置してある。戦闘支援は万全だ。負傷した兵士は兵站部が偽装ク<br />ロネコヤマト宅配車で、武道館まで搬送することになっている。武道館には医療チームを<br />配置させた。諸君は戦闘の表方である。表方を支える裏方を信頼して、武装身体を全面展<br />開して敵を壊滅してほしい。九段会館での大会は午後三時三十分をもって休止とする。そ<br />の後、党幹部と代議員は武道館へ移動する。武道館での大会再開は午後六時。国家生活党<br />大会の粉砕を叫ぶ旧右翼デモ隊と左翼デモ隊を壊滅した後は、臣民軍全軍で合衆国統一党<br />による破壊攻撃と対峙することになる」 </p>

<p> 続いてホリホリモン江掘貴之司令官が号令を出した。 </p>

<p>「全軍出発!」 </p>

<p> 熊谷史也は一千名名の遊撃隊兵士を分散させ、靖国神社を迂回し裏にある九段高校の校<br />庭に集結させろと遊撃隊の分隊長に指示した。攻撃まではできるだけ無防備都市に溶け込<br />めと指示した。遊撃隊の兵士はネクタイ背広紳士服にコートを羽織ったセールスマンや神<br />保町古本屋街にきた学生を装い武道館からばらばらに単独で出発していった。靴は固定さ<br />れた金属が足を防衛する安全靴仕様だった。遊撃隊は九段高校から出撃しデモ隊の後尾を<br />襲撃させる作戦だった。世耕弘成参謀の戦術は聞かされたが、靖国方面隊の現場指揮は熊<br />谷史也に任されていた。世耕弘成参謀はデモ隊の後尾が靖国神社を出発してから攻撃を開<br />始しろと命令したが熊谷史也はデモ隊がまだ残っている時点で攻撃するつもりだった。お<br />れは靖国神社の建物に火をつけないが大村益次郎の銅像は破壊するだろうと熊谷史也はお<br />のれの実現能力を確信していた。 </p>

<p> 熊谷史也は一千名の臣民軍を北の丸公園清水門方向から九段会館へと進軍させた。党幹<br />部や代議員が九段会館の裏口から脱出する時間は午後三時五十分、誰が見ても九段会館を<br />防衛するために派遣されてきたと思うだろう。九段会館の臣民軍は突入してくる旧右翼の<br />街宣車や先頭のデモ隊を壊滅するのが任務だと熊谷史也から指示されていた。街宣車攻撃<br />の武器は火炎ボトルだった。熊谷史也は九段会館に向かう分隊長に靖国神社では火炎ビン<br />は使用しないが九段会館では街宣車に投げ火達磨にしろと命令した。ラッカーシンナーが<br />入ったペットボトルに火をつけて投げれば火炎ボトルになるはずだった。マスゴミどもの<br />報道車両もついでに燃やしてやれと指示をした。九段会館の建物は火の海にしないが、会<br />館の外たる駐車場や広場のアスファルト敷地、さらには九段坂を火の海に、おれはするだ<br />ろうと熊谷史也はおのれの冒険主義を確信していた。火炎ボトルの投下は昭和館の屋上か<br />らしろと攻撃部隊に熊谷史人は命令していた。 </p>

<p> ネクタイをしめサングラスをかけた証券会社スタイルに装った熊谷史也が武道館から外<br />に出たとき、冷たい風がふいてきた。彼は白いマフラーを首にかけ黒いコートのえりの間<br />から中に入れた。一月十七日の冬空はすでに重い雪雲になろうとしている。熊谷史也はふ<br />と腰に装着されているナチス棒を触った。今は短いが、取り出して振り下ろせば長い棒に<br />なる。 </p>

<p> 熊谷史也の故郷は西会津の村だった。あの日は雪だった。彼は父の葬式を思い出してい<br />た。四月になったばかりの日、父はガンで死んだ。葬式の日、なごり雪は大雪となってい<br />た。そのとき、熊谷史は小学4年生になろうとしていた。進級の前に父は死んだ。 </p>

<p> 父は棺桶に入れられた。その長い棺桶を村人が麻で編んだ会津武士衣装を着て墓まで運<br />んでいく。村人は哀悼の謡を唄っていた。棺桶を運ぶ村人は裸足だった。舗装された道路<br />が黒く濡れていた。重い雪が降っていた。土葬だった。熊谷史也は村人の後ろから付いて<br />いった。雪は舞い向こうに山並みがうっすらと見えた。家では祖母と母が泣いていた。 </p>

<p> 熊谷史也はちいさい頃から、明治維新軍に敗北した会津戦争の話を聞かされていた。会<br />津人はまだ長州を許してはいなかった。会津軍の死者は葬ることも許されず、野ざらしに<br />されたのだった。 </p>

<p>「死者を冒涜した敵を会津人は永遠に許さんぞ!」 </p>

<p> 祖母はいつも話していた。 </p>

<p> 明治維新軍の神社が靖国だった。熊谷史也にとって、そこは敵の神社だった。 </p>

<p>「おれは会津人として、今日、決着をつけてやる」 </p>

<p> 熊谷史也は、靖国神社での大会戦その戦闘をイメージトレーニングしていた。 </p>

<p> ホリホリモン江掘貴之は武道館から駿河台方面臣民軍兵士を三列縦隊で出発させた。臣<br />民軍兵士のスタイルは全員が鉄筋工やとび職が現場で着用する作業着だった。ニッカズボ<br />ンは危険な身体動作には適していた。その建築専門職作業着は黒。黒いとび職の上着には<br />前の胸のところに「改革」という縦文字が白抜きされている。背中に「日本独立」という<br />白い文字が縦にロゴとして入っていた。頭は黒い無地のヘルメットだった。腰には安全ベ<br />ルトを締め建設現場でみかける腰袋をしている。腰袋にはバルサンとラッカーシンナーペ<br />ットボトルが入っていた。足場の鉄パイプを組み合わせクランプの六角ネジをしめるラジ<br />ュエットを入れておく、ベルトの場所にはナチス棒が差し込んであった。肩から背中には<br />木刀替わりの鉄管がはすかいになって掛けられていた。それはまるで日本刀を背負った佐<br />々木小次郎のようだった。手首には手甲を巻いていた。部隊が黒い安全靴で行進する足音<br />は周囲を威圧するだろう。両手は建設作業用の皮手袋をはめていた。全員が顔に建設現場<br />解体用の白いマスクを被り、異様さは増幅していた。港湾労働も貨物船から荷物を運び出<br />すとき、同じ作業着制服を着た港湾労働者の軍団がバスから貨物船に乗り込むが、軍団展<br />開の作業制服を着た職人が帝都の道路を行進する姿はまるで、これから都市が解体される<br />かのような雰囲気があった。黒いカラス軍団は田安門をくぐり、桜並木を降り、靖国神社<br />にかかる歩道橋を渡りはじめた。靖国方面隊は駿河台方面隊の後から靖国通りに出る作戦<br />だった。靖国通りからは城壁の田安門によって、見えるのは武道館の屋根のみだった。城<br />壁は靖国神社境内の敵から臣民軍の戦闘準備を隠してくれた。 </p>

<p> 突然、武道館方面から黒いとび職人たちの行進であるカラス軍団が出現し、靖国通りを<br />渡る歩道橋を行進している姿は、靖国神社第一鳥居前の広場に陣取り街宣車の上にいたを<br />軍隊服の右翼驚嘆させた。大村益次郎銅像が建つ境内の集会参加者たちからは下の様子が<br />見えなかったので混乱はなかった。靖国神社の門の前で徒党を組みながら旧右翼の動向を<br />ウオッチしていた私服の警視庁公安部右翼担当平沢克栄が、襟につけているピンマイクで<br />武道館方面から登場したとび職スタイルのカラス軍団について警視庁警備司令部に報告す<br />る。警備司令部は皇居前にある警視庁ビルにあった。 </p>

<p>「ゼネコンが送り込んできた建設職人連合の右翼だんべ」<br />「自民党幹事長の武部がゼネコンに話をつけて靖国に送ってくれたんだべよ」<br />「それにしてもカッコよがんべ」 </p>

<p> 栃木県から参加している街宣車の右翼が興奮して栃木弁まるだしで話していた。 </p>

<p> 「続々と靖国神社には万世の隊列が結集している。九段会館に向けて突撃だ!国家生活<br />党大会を撲滅しろ!」 </p>

<p> 旧右翼青年愛国党の幹部がカラス軍団の登場に興奮して街宣車の上からマイクで絶叫し<br />た。その日靖国神社には三十台の旧右翼街宣車が結集していた。 </p>

<p>「あれぇーーー、なんだべ、靖国の正門から境内に入って来ねぇよぉ、先頭は通り過ぎて<br />いってしまうべよぉ、どうしたんだんべ」<br />「きっと、街を練り歩いてくるんだっぺよ、祭りとおんなじだんべよ」 </p>

<p> 栃木県から来た右翼はカラス軍団に圧倒されていた。カラス軍団の先頭は靖国神社の幅<br />二メートルはある巨大な第一鳥居をくぐり境内に向かうのではなくその目の前の東京理科<br />大学から九段下交差点に向かっていた。靖国通りの神田神保町方向は三車線。歩道側の一<br />車線を占領し車道を行進していく。 </p>

<p>「映像を送信しろ」 </p>

<p> 警備司令部から靖国神社に張り付き情報を現場で収集する警視庁公安部の私服に指示が<br />飛んだ。携帯用小型動画カメラで私服はカラス軍団の行進を歩道から撮影し、オンライン<br />で警備司令部に送信する。警視庁警備司令部は、靖国に張り付いていた私服軍団の半分を<br />カラス軍団ウオッチに回す指示を出した。カラス軍団が何処の党派か、それを特定するこ<br />とが公安私服の最初の仕事だった。警視庁公安部は公安総務課(国家生活党、日本共産党、<br />オウム真理教などを捜査対担当)、公安第一課(新左翼・労働争議担当)、公安第二課<br />(労働団体、革マル派等を捜査担当)、公安第三課(右翼の捜査担当)、公安第四課(資<br />料収集・統計)、外事第一課(外交官、外国人警備担当)、外事第二課(アジア出身外国<br />人担当)、外事第三課(国際テロ担当)、公安機動捜査隊、NBCテロ捜査隊(理系大学<br />などの出身者を中心に構成)などによって機構化されている。右翼担当は公安第三課だっ<br />た。 </p>

<p> 靖国集会の情報チーム親分である平沢克栄は警備司令部にカラス軍団は革マル派の偽装<br />デモ隊かもしれないから、公安第二課の出動を要請した。新左翼担当の公安第三課は明治<br />大学での集会をウオッチしているので、そちらから回すことはできなかった。平沢克栄は<br />九段会館をウオッチしている公安総務課の親分である亀井静香にカラス軍団が靖国通りに<br />突然登場したことを無線のピンマイクで連絡した。もちろん使用しているのは、革マル派<br />による警察無線盗聴事件の総括から盗聴防止のデジタル暗号化された無線だった。 </p>

<p>「カラス軍団がまだどこの党派か、まだ特定できない。国家生活党である情報はないのか」 </p>

<p> 平沢克栄は怒鳴りながら亀井静香に無線で質問した。九段会館の敷地で徒党を組んでウ<br />オッチしていた公安総務課の現場指揮者親分の亀井静香は走った。九段会館の駐車場から<br />昭和館は通り抜けでき靖国通りの歩道に出ることができる。昭和館の一階はアーチ型だっ<br />た。靖国通りの九段坂を行進しているカラス軍団がいた。平沢克栄は明治大学の集会ウオ<br />ッチ担当の前原誠司にもカラス軍団の登場を携帯電話で連絡した。前原誠司は御茶ノ水駅<br />前路地にある画廊純喫茶「ミロ」で平沢からの連絡を受けた。そして外に飛び出した。前<br />原誠司は部下に、革マルの偽装部隊が登場するかもしれない情報が入ったから注意しろと<br />部下に指示した。 </p>

<p> 時間は午後三時二十分になった。飯田隊長は「演説は必ず三時半に終了」という伝言紙<br />を舞台で演説している結城純一郎総裁に渡した。結城純一郎総裁は三時二十五分で基調報<br />告演説を終了させ舞台袖に帰ってきた。結城純一郎総裁の演説への代議員の拍手は九段会<br />館にうなっている。舞台に出てきたのは飯田防衛隊長だった。 </p>

<p>「ここで大会は一時休止といたします。報道関係への皆様への公開はここまでといたしま<br />す。誠に申し訳ありませんが報道関係の皆様は今すぐ九段会館から退去していただきます」 </p>

<p> 九段会館の正面入り口から各新聞社やテレビ局の報道クルーが強制的に大会防衛隊員に<br />よって排除され出てくる。入り口は排除されまいとする報道マンの抗議の怒鳴り声が響く。 </p>

<p>「押すなよ、カメラを壊す気か!」<br />「国民の知る権利をあんたらは犯すつもりかよ!」<br />「何で大会を報道させないんだよ!」<br />「マスメディアを敵に回したら、後で後悔するぞ!」 </p>

<p> 正義面をしたマスゴミの抗議に防衛隊員は無言で報道マンを外へ排除していく。 </p>

<p> 外で、旧右翼と左翼による九段会館への突撃シーンを切り取る準備をしていた、各社の<br />報道チームが入り口での押し問答を撮るべく殺到した。排除されまいとロビーで最後まで<br />がんばっていた報道2001の白岩も防衛隊員によって外へ連れ出された。 </p>

<p>「白岩さん、あぶない」<br /> 伊藤ゆかりがこけそうになった白岩を見て叫んだ。そして群れをかき分け白岩のところ<br />まで走っていった。<br />「だいじょうぶですか?」<br /> 伊藤ゆかりが声をかけた。<br />「ひでえことをしやがる、靖国の旧右翼と駿河台の左翼が九段会館に突撃してくるもんで、<br />やつら疾駆八苦なんだ」<br /> 白岩が国家生活党防衛隊をののしって言った。<br />「まずはウチの報道車のところまで行きましょう」 </p>

<p> 伊藤ゆかりは白岩の体を支えながらフジテレビの報道車をめざし歩き出した。フジテレ<br />ビの報道車は大きな楠木の横にあった。九段会館大ホール入り口前の駐車場と内堀通り歩<br />道に面した九段会館は千名の臣民軍兵士によって囲まれていた。いつのまに動員したのか<br />しら、伊藤ゆかりはフジテレビ報道車のドアを開けながら後ろをふりかえる。白岩の後か<br />ら報道車に乗り込むと中にはカメラマン小泉とクルーキャプテンの中村がいた。時間は午<br />後三時四十分になっていた。伊藤ゆかりは報道車の窓から、ヤマト宅配車が九段会館の駐<br />車場の鉄扉の前でガードマンに停められているのを見ていた。 </p>

<p>「飲料水をお届けにあがりました」 </p>

<p> クロネコヤマトの緑色の制服を着た男がガードマンに言った。ガードマンは大ホール玄<br />関口を指差した。上は墨が一滴入ったクリーム色、下は草色でそこの黄色のロゴで宅急便<br />という太い文字があり、両方のドアには親猫が子猫を大切に運ぶクロネコヤマトのマーク。<br />そのヤマト運輸の車が九段会館の駐車場に三台入ってきた。大ホール玄関口に停車したヤ<br />マト運輸の宅配車から、つぎつぎと臣民軍兵士によってボトルが入ったダンボール箱が九<br />段会館大ホールのロビーに運ばれる。ダンボール箱は昭和館にも運ばれていった。車から<br />積み下ろしが終わると、ヤマト運輸の宅配車は内堀通りへと消えていった。ダンボールの<br />中身はもちろん臣民軍兵士が投げるバルサンやラッカーシンナー入りボトルだった。 </p>

<p> 時間は午後三時五十分になった。隊列となって国家生活党の大会代議員一千名は、九段<br />会館大ホールの裏口から牛ヶ淵ぞいに千代田区役所の裏を抜けていった。九段会館の前の<br />歩道は、日本遺族会入り口から千代田公会堂前まで臣民軍が防衛していた。 </p>

<p> ホリホリモン江掘貴之を先頭にしたカラス軍団はちょうど、九段下交差点にさしかかっ<br />たところだった。専修大学方向に向かっている。ホリホリモンはまだ公安に面われしてい<br />なかっただけでなく、顔情報は黒いヘルメットに白いマスクで隠していた。カラス軍団の<br />三列縦隊は遥か武道館方向まで伸びていた。北の丸公園で集結し、そこから行進してきた<br />のだと亀井静香は推測した。カラス軍団が何処の党派かを特定することが先決だった。党<br />派を特定できないことにはカラス軍団の政治目的がわからない。亀井静香は九段会館ウオ<br />ッチ公安私服情報部隊の半分をカラス軍団に差し向けることにした。そして公安総務課の<br />デスクに共産党担当とオウム担当の私服を現場に今すぐ派遣することを無線で要請した。<br />カラス軍団の数を特定しろ! 亀井静香は部下に無線で指示した。十人ほどの私服が九段<br />坂の歩道を登っていった。カラス軍団は田安門から続々と陸橋を渡り靖国神社から東京理<br />科大学前の九段坂車道を行進してくる。時間は三時十五分になっていた。四千名の部隊が<br />九段下交差点を神保町方面へと横断していったのは午後三時三十五分だった。 </p>

<p> 駿河台方面隊の後から隊列となって靖国通りに出た靖国方面隊一千名は歩道橋を渡り、<br />靖国神社第一鳥居前のアスファルト舗装された広場に出ると、目の前の東京理科大学から<br />北の丸スクエアまでの歩道を占領した。一千名の部隊は田安門入り口から昭和館までの歩<br />道を占領した。証券マンスタイルの熊谷史也は、靖国方面隊の臣民軍が集会参加の部隊で<br />あると偽装し、靖国神社境内の集会主催者に話をつけてきた。 </p>

<p>「靖国神社境内に三千名以上入ると危険なので、われわれの部隊は境内の外で待機する」 </p>

<p> 集会の主催者たちは熊谷史也の靖国神社境内の外にも集会参加者部隊を置くという巧み<br />な分割方式にすっかり騙されてしまっていた。自民党青年部の杉山大蔵も「これで集会参<br />加者は五千名になる、大成功だ。武部幹事長にもグッドな報告ができる。おれはまたほめ<br />てもらえる」とはしゃいでいた。熊谷史也にとって人は株に過ぎなかった。個人投資家を<br />うまく騙すように旧右翼の幹部たちを詐欺にかけることは容易だった。靖国神社境内から<br />デモ隊が出発する午後四時は迫っていた。熊谷史也は境内を歩き、集会参加者たちをくま<br />なく観察した。演説は巨大な第一鳥居前に停めてある街宣車の上から行われていた。参加<br />者たちの前方が第一鳥居で、前には東京理科大学のロゴが入った建物が見える。参加者た<br />ちの隊列は大村益次郎銅像まで延びている。第一鳥居から一〇〇メートル。大村益次郎銅<br />像から休息所あたりは分散したグループや個人、それにヤジ馬たちがいた。熊谷史也は慰<br />霊の泉から桜並木を越え、九段高校のグランドが見える境にやってきた。靖国神社と九段<br />高校の境には細い道路があった。九段高校グランドには道路にそって緑色の網がかかって<br />いた。野球玉がグランドから越えないようにする仕様だった。網の向こうにサングラスを<br />かけひとり立っていたのは遊軍隊の指揮者だった。熊谷史也は顔をうなずき合図した。遊<br />軍隊の指揮者も顔で合図に応える。遊軍兵士は校舎の影に隠れている。時刻が来れば、九<br />段高校から道路を越え、靖国神社の林になだれこみ、境内に向かって武器を投げる作戦だ<br />った。すでに裏路地には武器補給のためのヤマト運輸宅配車が並んで停車している。 </p>

<p> 熊谷史也は九段高校からの突撃準備完了を確認すると、第一鳥居をくぐり、田安門入り<br />口に行く歩道橋の階段を登った。この上から臣民軍全体を指揮する作戦だった。歩道橋の<br />上から見ると警視庁公安私服たちが混乱している様子が見えた。九段下交差点までの両歩<br />道には臣民軍二千名が占領している。旧右翼のデモ隊先頭は九段坂交差点から右折し九段<br />会館へ突入を図るだろう。靖国神社境内からのデモ出発前に臣民軍は靖国通り、新宿方面<br />の車をスットプさせる。靖国通りは新宿方面が三車線、神田方面が三車線の計六車線道路<br />だった。靖国神社境内を出たデモ隊は神田方面の二車道を使用する。右翼のデモ隊に警視<br />庁機動隊がサンドイッチにすることはありえなかった。交通警官が警備につくだけであろ<br />うと熊谷史也は判断した。警視庁機動隊のバスは大手水舎あたりに待機している。その数、<br />十台。バスの中には機動隊員が乗っているはずだった。しかし最近の機動隊員は左翼の過<br />激な街頭デモが消滅したので、現場での攻防体験はなく、サラリーマン化していることを<br />熊谷史也は知っていた。戦闘が開始されても機動隊員はバスの中から外に出てこないと熊<br />谷史也は読んでいた。彼我の関係である現場は戦闘開始の予告に震えている。 </p>

<p> 午後三時五十分になった。熊谷史也は臣民軍に命令し新宿方面へ流れる車を九段下交差<br />点でストップさせ、右折の目白通りか左折の内堀通りへと流れさせた。車の運転手には右<br />翼が火炎ビンを投げながら九段会館に突入してくるので危険であると説明させた。新宿方<br />面へ直進する車が九段下交差点から目白通り、内堀通りに流れると、熊谷史也は神田神保<br />町方面に直進する車を九段上交差点でストップさせ、内堀通りへと迂回させた。九段上交<br />差点から九段下交差点までの靖国通りから走行する車両が消えた。そのとき、ヤマト運輸<br />の宅配車のみが九段下交差点を直進してきた。武器を積んだクロネコヤマトは田安門入り<br />口のところに停車した。 </p>

<p>「九段会館大ホールから代議員、防衛隊とも全員退却完了」 </p>

<p> 熊谷史也の携帯電話に九段会館の臣民軍から報告メールが入った。 </p>

<p>「右翼の攻撃隊に偽装し、九段会館駐車場にあるマスゴミ報道車に火炎ボトルを投げ火達<br />磨にしろ。開始時刻は午後四時。右翼街宣車への火炎攻撃は、敵自らが逃亡するように仕<br />掛けろ」 </p>

<p> 熊谷史也の指示は、右翼の突入にみせかけ、まず九段会館の駐車場にある報道車を燃や<br />す。その報復として九段会館周辺を防衛している臣民軍が旧右翼デモ隊の先頭である街宣<br />車に攻撃することだった。九段会館への旧右翼の突入に待っていたのでは、全てが後手に<br />回ってしまうと熊谷史也は判断していた。それに九段会館の駐車場は狭すぎて戦場創出に<br />は向いていなかった。戦場はこちらから創出しなくてならない。その戦場とはやはり靖国<br />神社から九段下交差点に及ぶ道路だった。敵が逃げるルートもつくっておく必要があった。<br />手傷を負った敵が逃げるルートをつくらなければ、手傷を負った敵は全身全霊で突破口を<br />開こうとわが方に向かってくる。それは危険でしかない。熊谷史也は手傷を負った敵が逃<br />げるルートを地下鉄に設定した。壊滅された旧右翼のデモ隊参加者を地下鉄九段駅に追い<br />込む作戦だった。旧右翼の街宣車も恐怖におびえ逃亡させることができれば最善だった。<br />街宣車を炎上させ、運転不能までに壊滅してしまうと、街宣車の廃残を撤去するまで時間<br />がかかり靖国通りの交通が渋滞になってしまう。街宣車の逃げ道をつくるのも必要だった。<br />重要なのは戦闘の収束だった。右翼街宣車を火炎ボトルによって炎上させ完全破壊する方<br />針は熊谷史也のなかですでに修正されていた。 </p>

<p>「戦闘とは株式市場と同じだ。そのつど修正しながらアッタクを仕掛ける。人間の騙しあ<br />いゲームこそが戦闘であり株式市場だ。証券マンだったおれは人間のゲームを市場で学ぶ<br />ことができた。駿河台方面隊のホリホリモン司令官も靖国方面隊司令官のおれも、おそら<br />く、騒乱罪で逮捕されてしまうだろう。しかしおれたちはまだ若い。獄中体験はおれたち<br />を英雄にするだろう」 </p>

<p> 熊谷史也にとって街頭での戦闘とは世界への回路だった。街頭の戦闘が開始されようと<br />している。靖国通りの戦闘は世界に映像発信されていくだろう。熊谷史也は世界に接続し<br />ている人間として緊張の興奮を楽しんでいた。戦闘開始午後四時五分前、一月十七日の現<br />場。靖国神社第一鳥居の巨大な柱は狂気の紫に震えていた。やがて路上に血の鮮血が落ち<br />るはずである。墨で書かれた虚言ではなく血で書かれた騒乱を都市は待っている。それが<br />五分前のもうひとつの帝都だった。 </p>

<p>  </p>

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