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2006年4月27日 (木)

おーるさんの2002年8月17日 日誌 【新じねん】

02/08/17 (土)

 雷雨が襲来してから過ごしやすい日が続いている。昨夜から今朝にかけて気温も25度を保ったままだ。こういう時に安堵していると、数日もしないうちに暑さがぶり返したりする。まだ暑さは峠を越していないはずだ。太陽が雲で覆われている分、熱線が遮られているに過ぎない。いったん太陽が顔を覗かせれば、またもや「暑い、暑い」の毎日に戻る。
 昨日は屋根瓦まで伸びたキュウイの実を摘果した。今年は千個ぐらいの実がなっている。今から小さな実を摘果しないと、実が大きくならない。キュウイの蔓は屋根だけでなく、今では工場内にも浸入してきている。今頃になると葉も枯れ始め、果実に栄養が集中していく。春に芽ばえ、夏に繁茂し、秋に枯れ果て結実し、種子を落とし、冬の眠りを経て再び芽ばえる。
 毎年繰り返される植物たちの季節の営みに、私はいつも人間の命を重ね合わせる。人間社会の世相にあって、人の死は終わり以外のなにものでもなく、それゆえに死を厭い恐れている。死は人間の敗北だと、健康に異常な神経を使っている。私もまた両親の死を通して、絶望的な喪失感を味わってきた。ボンヤリと庭を眺める日がつづき、植物たちの季節の営みに心を通わせていくと、やっと気付くのだ。生と死は常に表裏一体で切り離せないものであることを・・・生きることは死を、死ぬことは生を意味していることを・・・人が絶望して死の淵で悩んでいるときにさえ、裏返しの生が息づいている。生きていればこその絶望であり、悩みであることに気付かされるのだ。してみれば人間の死も、植物たちが枯れて種子を落とすようなものではないか?死は命の再生のためには不可欠な季節の道程ではなかったか・・・と、相変わらず私は今日も朝から夢想に浸っている。
 仕事は最後の段階にきて難航している。仕上がりに満足できないのだ。もう少し手を加えなければ引き渡せない。監督が納得しても、自分が納得できないのだ。これでは自分が許せない。たかが精密機械のパーツにしかすぎない安価な仕事に、採算のとれない努力を重ねてどうなるのだ?バカな奴さ、私という頑固者は・・・結実しない植物のようなものだ。

【視聴予定】
■19:30-20:45 NHK総合 スペシャル「変革の世紀」 今夜は夏のスペシャル企画・インターネット大討論▽40万人の本音・日本をどう変革すべきか▽6カ月の激論を集大成坂本龍一ほか
■21:00-21:54 TBSテレビ 世界・ふしぎ発見!「桃源郷シャングリラはあった」 真夏の大氷河・チベット地図なき秘境大冒険

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