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2006年9月13日 (水)

70年代明治維新幕末暗殺期の哲学者、黒田寛一が死亡した

黒田寛一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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黒田 寛一(くろだ かんいち(「ひろかず」とも)、1927年10月20日 -2006年6月26日 )は、日本の反スターリン主義者、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)最高指導者。通称クロカン。筆名は山本勝彦、牧野勝彦など。

旧制東京高等学校を中退後、出版社を自営。その傍らマルクス主義の研究・著作を重ね、その研究サークルが発展する形で日本トロツキスト連盟を結成。1957年12月、革命的共産主義者同盟全国委員会の結成と共に議長に就任。

1962年の参議院選挙全国区に党公認で出馬するが、落選。得票数2万余り。大日本愛国党総裁の赤尾敏が12万票余りを獲得したのと比べれば、惨敗であった。

1963年2月、全国委員会から分裂した革マル派でも引き続き議長。 全共闘時代には、にわかに脚光を浴び、女性週刊誌に対し、妹が黒田の私生活ぶりを証言したりもした。

1996年10月、健康上の問題を理由に議長を辞任(ただし、辞任後も組織への影響力は持ち続けたとされる)。 2006年6月26日、埼玉県内の病院にて肝不全のため死亡。享年78。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AF%9B%E4%B8%80


● 黒田寛一の来訪をあの世で待っていた、本多延嘉と中原一はどういう対話を
試みるのだろうか・・・・

21世紀の今も権力は米国の傀儡政権である自民党のままである。
公明党も権力の一翼となった。

自民党は国際金融動物とホワイトハウス、米国CIAに守られ
70年代明治維新幕末暗殺期の激流に巻き込まれなかった。
彼岸でニヤニヤ、おぼれゆく若者たちを超然とながめていただけである。

自民党の超然主義とは山県有朋の制度設計に基礎がある。

自民党は権力という現実を21世紀に入ってからも保全している。

どうやら2006ブッシュによると「イデオロギー戦争」の時代に突入したらしい。
「イデオロギー戦争」といえば黒田寛一である。

革マル派の強さは、中卒、高卒の労働者であっても、哲学書を読むことにあると
80年代に聞いたことがあった。

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