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2006年11月15日 (水)

小説  新昆類  (37) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

  6 

 大船駅西口から横浜市立場に行く神奈川中央交通のバスに乗ると、原宿交差点を過ぎ、
バスは米軍深谷通信基地沿いの道路を走っていく。深谷通信基地にはいくつもの電磁波塔
が林のごとく樹立していた。この基地の機能は、米海軍第七艦隊の艦船や、厚木海軍航空
機と横須賀の海軍司令部を結ぶことで、三十基のアンテナと五十五基の送信機で艦船に中
継送信をおこなっていた。その周りには畑であった。ふちのある丸い帽子を被った有留源
一郎は深谷通信基地手前のバス停で降りると、深谷小学校の方向に歩いていった。左手に
深谷小学校、右手には深谷通信基地のいくつも樹立している電磁波塔が見えた。

 平成十八(二〇〇六)年八月六日広島原爆記念日の早朝だった。そして今日は日曜日だ
った。道路にはまだ車も走っていなければ人も歩いていなかった。有留源一郎は畑のあぜ
道を歩いていった。面前に電磁波塔がそびえている。彼は黒い肩掛けバックから虫カゴを
取り出すと、草のあぜ道にしゃがんだ。虫カゴを開けると中から茶色い昆虫が四匹飛び出
してきた。その昆虫はゴキブリとクモが合体したちいさな電磁波新昆類だった。電磁波を
体内から外に発生させる生物だった。電磁波に放射されながら飼育されたので、電磁波を
発生させる場所こそおのれが生存できる場所であると本能が起動して、草のあぜ道を新昆
類は勢いよく跳ねながら深谷通信基地の方向へと姿が消えていった。有留源一郎は八十五
歳になっていたが、意思的な後姿だった。空となった虫カゴを黒いバックのなかに戻し、
畑のあぜ道から道路に戻ると、彼は深谷小学校を過ぎ住宅地のなかを歩いていった。坂を
上り今度は左折して坂を下りていく路地を歩いていった。やがて廃墟となったドリームラ
ンドタワーが見えてきた。大きな道路に出ると下手にバス停が見えた。そのバス停の手前
に三菱ふそうの幌がある青い二トントラックが止まっていた。有留源一郎がそのトラック
まで歩いていくと、助手席のドアが開いた。有留源一郎は黙って乗り込む。運転席に座っ
ていたのはタオルを頭にまいた関塚茂だった。トラックは瀬谷の方向へと走り、相鉄線の
三ツ境駅で男をひろった。三ツ境駅から乗り込んで来たのは渡辺寛之だった。野球帽を被
りハイキングに行くかのようなの姿をしていた。渡辺寛之と関塚茂は五十三歳になってい
た。渡辺寛之はNECの早期退職に応じ、現在は高齢者相手にパソコンやインターネット
のやり方などを教える商売をしていた。

 トラックは三ツ境駅から厚木街道に入り大和駅方向へと走っていった。幌に覆われた荷
台の後ろには、大き目のハイキング用ザック五個とひとつのダンボール箱のなかに一眼レ
フのデジタルカメラが五個、毛布に包まれて入っていた。荷台の前には三個のダンボール
箱が黒いゴムバンドによって、動かないように固定されていた。

 大和警察署を過ぎると交差点の右側にファミリーレストランのガストが見えてきた。ト
ラックは交差点を右折してガストの駐車場に入った。時刻は朝八時前だったが、すでに真
夏の太陽はぎらついていた。渡辺寛之は運転助手席のドアを開けると、すぐさまトラック
の後ろに行き、幌を閉めているゴムバンドをはずしていった。運転をしていた関塚茂も幌
のゴムバンドをはずす。そして荷台に乗り込み、渡辺寛之に一つのハイクング用ザックと
一つのデシカメを渡した。渡辺寛之は後からトラックの後ろに歩いてきた有留源一郎にそ
れを渡した。そして自分が背負い身に付けるザックとデジタルカメラを受け取った。関塚
茂は荷台で自分のザックを背負い、デジタルカメラを首にかけると荷台の幌の中から外に
降りた。そして幌を閉めるゴムバンドを関塚茂と渡辺寛之はトラックにかけた。三人は店
のドアへと歩いていった。

 ガストのドアから出てきたのは、めぐみ、渡辺寛之の妻である真知子、泥荒の三人だっ
た。めぐみは有留源一郎、渡辺寛之、関塚茂に眼を合わすことなく、先ほど関塚茂が運転
していたトラックへと歩いていった。真知子はすれ違うとき、夫の手に自分たちが乗って
きたワゴンのカギを渡した。

 めぐみはトラックの運転席に乗り、渡辺真知子と泥荒は助手席に乗った。助手席には有
留源一郎が残していった黒い肩掛けバックがあった。それを真知子は座席の後ろに入れた。
めぐみが運転するトラックは大和警察署方向へと走り、厚木街道と四六七号線の交差点を
右折し四六七号線藤沢方向へと走っていった。すでに泥荒も関塚茂も鬼怒一族と有留一族
の秘密結社同盟の一員となっていた。

 ガストで朝食を注文したのは有留源一郎、関塚茂だった。渡辺寛之はドリンクを注文し
た。三十分ほどくつろいで、三人はガストを出ると大和駅方向へと歩いていった。大和駅
のタクシー乗り場からタクシーに乗った。

「引地台公園までお願いします」

 関塚茂が運転手に告げた。近距離は金にならないと、運転手はしかめ面で車を動かした。
朝から公園で趣味の写真とりかよ、公民館の写真サークルだなと運転手は思った。運転手
は鏡で後ろの客席の有留源一郎の顔をチラっと見ながら、この老人が写真サークルの先生
だと判断した。まったく元気で景気がいいのは年寄りばっかりだよと思った。続いて運転
手は鏡で渡辺寛之と関塚茂の顔をチラっとみた。五十歳代のこいつらは写真サークルの会
員だなと運転手は判断した。ケっ、趣味の写真かよ、日曜の撮影場所が公園かよ、まった
く金がかからない趣味だわ、こいつらケチケチしている五十歳代のサラリーマンが、夜の
街で飲まなくなってしまったので、本当に不景気だわと運転手は後ろの客を呪詛した。

 引地台公園でタクシーから降りた三人は、それぞれがデジタルカメラをかまえ違う方向
へと散っていった。誰から見ても自然が好きな公園を散策する趣味を楽しむカメラマンだ
った。渡辺寛之は一時間ほど公園の樹木などをカメラで撮り、「やまと冒険の森」の方向
へ歩いていった。「やまと冒険の森」で、また彼は1時間ほど写真を撮った。それから米
軍厚木海軍飛行場の境の木陰で腰をおろし、ザックの中からビニール袋に入ったおにぎり
二個と冷茶のペットボトル取り出した。

 ザックは開けたまま腰の後ろに置いた。渡辺寛之の後ろには広大な米軍厚木飛行場があ
った。ザックの中からちいさなゴキブリの群れが外に飛び出してきた。電磁波に反応し昆
虫ウィルスを体内に宿した新昆類だった。電磁波に放射されながら、日本人の精液をエサ
に飼育されてきた新昆類は渡辺寛之の子供たちでもあった。新昆類は日本人遺伝子には無
害だが白人の遺伝子をもった米国人には害悪になるだろうことを新昆類プログラム設計者
の渡辺寛之は知っていた。新昆類が宿す昆虫ウィルスは鳥インフルエンザよりも破壊力が
あった。米軍厚木飛行場の草むらで繁殖した新昆類昆虫ウィルスが米軍兵士に寄生し、新
インフルエンザとして破壊力を起動させるのは九年後の二〇一五年だった。それを鬼怒一
族と有留一族の秘密結社は2015年体制プログラムと命名していた。

 渡辺寛之のザックから外に出た新昆類は米軍厚木飛行場から出す電磁波に反応し、草む
らの茂みに入っていった。夜に活動する新昆類は羽を広げ飛び、広大な米軍厚木飛行場の
あちこちに飛んでいき、ここは新昆類が生存する最高の領域になるだろうと渡辺寛之は思い、
夏草の匂いを嗅ぎながら令茶を飲みながらおにぎりを食べている。食べ終わると腰の後ろに
あったザックの中身を見たがもはや新昆類は一匹もいなかった。寛之はおにぎりを包んであ
ったラップをまるめ、ゴミ袋となったビニール袋に入れると、それをザックの中に入れた。
そして令茶のペットボトルを飲み干した。飲み干したペットボトルをザックのなかに入れ
ると、寛之はザックのチャクを閉めた。そして立ち上がった。向こうに有留源一郎が散策
しながら時折止まり写真を撮っている姿が見えた。

 渡辺寛之が「やまと冒険の森」から外の道路に出ると、引地台公園方向から関塚茂が歩
いてくるのが見えた。空を見上げると真夏の太陽は頂点に位置していた。渡辺寛之は野球
帽の下から流れる額の汗を右手で拭くとそのまま大和駅方向へと歩いていった。有留源一
郎も関塚茂も渡辺寛之と同様に基地との境で、背負ったザックを開け、おにぎりを食べる
はずだった。渡辺寛之は有留源一郎の老体がこの暑さにやられないだろかと心配したが、
関塚茂が後ろについているから大丈夫だろうと心配を打ち消した。有留源一郎の強靭な意
志力にこの日の決行まで導かれてきたのだと思いながら渡辺寛之は大和駅に向かって街を
歩いていた。三人合わせて九十匹の新昆類が米軍厚木海軍飛行場に放されたことになる。

 渡辺寛之は歩いてガストまで戻り、真知子たちが駐車場に置いていったトヨタワゴン・
カルディナを運転して、ガストの駐車場から車を出した。大和警察署を過ぎ厚木街道と四
六七号線の交差点を右折して四六七号線を藤沢方向へと走らせた。すぐ右側にファミリー
レストランのジョナサンが見えた。信号機のところで右折し渡辺寛之はトヨタワゴン・カ
ルディナをジョナサンの駐車場に入れた。そして車をロックして店に入っていった。やが
てこの店に有留源一郎と関塚茂が「やまと冒険の森」から戻ってくる手順になっていた。
渡辺寛之はドリンクのみを注文し、ドリンク・バーから氷を入れたアイスティを席に持っ
てきた。この後のプログラムは、有留源一郎と関塚茂を待ち、三人で栃木県矢板市の高原
山に向かうことだった。関東を北上するトヨタワゴン・カルディナの運転は関塚茂の任務
だった。

 めぐみが運転する四六七号線藤沢方面に向かったトラックは、小田急江ノ島線桜ヶ丘駅
付近で泥荒を降ろした。泥荒は後ろの幌を開け、ザックと望遠付きデジタルカメラのセッ
ト二組を取り出し、幌をゴムバンドで閉めた。前の運転助手席のドアを開け、ザックとデ
ジタルカメラを渡辺真知子に渡した。そして自分用のザックを背負いカメラを首にかけ桜
ヶ丘駅方向に歩いていった。太陽がぎらついているので野球帽をかぶった。

 泥荒は桜ヶ丘駅から鈍行の小田急江ノ島線町田行きに乗った。町田駅から小田急小田原
線に乗り換える。泥荒は座間駅で降り、そこからタクシーに乗った。泥荒は富士山公園で
タクシーを降りると、一時間ほど公園の樹木などを撮影した。富士山公園の向こうは米軍
座間キャンプ基地だった。泥荒はそこで渡辺寛之と同様にザックを開け、おにぎりを食べ
る。ザックの中から這い出してきた新昆類は座間キャンプ基地が出す電磁波に反応し、草
むらのなかを基地の方向に蠢いていった。

 白い帽子の渡辺真知子がトラックから降りたのは、四六七号線と戸塚茅ヶ崎線の交差点
である藤沢橋付近だった。真知子は遊行通りを藤沢駅北口まで歩いていくと、江ノ電に乗
り鎌倉で降りた。そこでJR横須賀線に乗りJR横須賀駅で降りた。目の前はヴェルニー
公園で、横須賀本港の海が見えた。渡辺真知子は三十分ほどデジタルカメラで撮影すると、
樹の木陰の下で、ザックを開けおにぎりを食べた。海軍基地が出す電磁波に反応した新昆
類がナップザックから外に出てくる。沈黙の昆虫ウィルスを宿した生物兵器は夏草のなか
に消えていった。渡辺真知子は海を見ながらハンカチで顔に流れる汗を拭った。渡辺真知
子は白い帽子をとると、髪を潮風にさらした。気持ちがいいと真知子は感じた。渡辺寛之
の姉さん女房である真知子は五十四歳になっていた。子供はひとりだった。真知子と寛之
の子供は史彦で広島大学工学部の学生だった。ヒューマノイド専門課程を勉強していた。
史彦はひとりで山口県にある米軍岩国基地へのアタック、新昆類放出を寛之と真知子と同
じように決行するはずだった。真知子は史彦が心配だった。史彦は決行後、岩国基地から
有留一族の根拠地がある広島県広島市安佐北区白木町大字有留に帰還する手はずだった。
有留村にあるアジトこそ有留源一郎が経営していた有留鉄工所だった。大きな工場は今、
看板をはずし工場は閉鎖され鉄工の生産をしていないがその代わり新昆類が秘密に生産さ
れていた。

 史彦は二十歳だった。史彦は工場閉鎖された有留鉄工所から広島大に車で通学していた。
工場は史彦のヒューマノイド研究所へと変貌していた。史彦のヒューマノイド研究はコン
ピュータそのもののロボット化だった。言語の自動書記。ロボットが文章を書き、その文
章をメールとしてインターネットから携帯電話に無差別発信する。返信された人間のメー
ルからその人間の姿態をロボットが分析し、それに見合ったメールを返信するという実験
だった。携帯電話インターネットへのヒューマノイドによる介入である。ヒューマノイド
研究所へと転換された工場には、何台ものコンピュータがインターネットと接続されてい
た。コンピュータのキーボードを打っているのはヒューマノイドたるロボットだった。そ
のロボットは人間の手のみ模倣されていた。ロボットはパソコンによるあらゆるインター
ネット掲示板にも無差別に自動書き込みをしていた。それはヒューマノイドが文章のみに
よって人間と対話する実験だった。人間の自尊心をくすぐり喜ばせたり、人間を挑発し怒
らせたりしながら、ヒューマノイドは史彦の工場からインターネットに浸透していった。
そしてすでに株式市場にもヒューマノイドは介入していた。証券会社を挑発し株誤発注へ
と誘惑し、東京証券市場売買システムの弱点を突く工程だった。ヒューマノイドによる市
場数字の操作である。渡辺史彦はすでに個人投資家でもあった。

 有留村の住民からも史彦は源一郎の孫として認知されていた。村人はこの八月、源一郎
がまた旅行に行ったので孫の史彦が留守番をしていると思っている。鬼怒一族と有留一族
を継承する正統の血筋として、有留源一郎の記憶と財産を譲り受ける男が史彦であった。
有留源一郎が死ねば史彦が棟梁になることが約束されていた。岩国基地へひとりでアタッ
クすることは棟梁への試練でもあった。

 史彦は鎌倉寺山猿の一群によって密かに守られていた。その頭こそラフォーだった。


 めぐみが運転するトラックは、藤沢橋を左折し遊行寺坂を上り戸塚茅ヶ崎線から横浜新
道に入り新保土ヶ谷ICから横浜横須賀高速道路に乗った。めぐみは横浜新道での渋滞か
ら解放され、一挙にスピードを上げる。目指すのは横須賀だった。昭和三十九(一九六四)
年生まれのめぐみは二十一世紀の今年四十一才になっていた。夫は五十三歳の関塚茂だっ
た。藤沢市鵠沼海岸に一戸住宅の中古を買って住んでいた。子供はふたりだった。ふたり
とも娘だった。上の子は真由美、下の子は亜紀という名だった。真由美は高校を卒業する
と神奈川県庁に就職し基地対策課で働いている。米軍基地の情報は真由美から手に入って
いた。亜紀はコンピュータ専門学校に通っている。夏休みの亜紀は今、沖縄へと遊びに行
っている。海水浴などをしながら八月いっぱいは米軍基地周辺の情報収集と手ごろなアジ
トになる別荘を物色する役目だった。

 めぐみは横須賀ICから本町山中道路に乗り、JR横須賀駅沿いの一六号線に出た。ト
ラックは横須賀商店街手前で左折し三笠公園に入っていく。海には三笠記念艦船があった。
めぐみはトッラクを第一駐車場に止めた。一時間四百円で二十四時間の有料駐車場だった。
三笠公園は真夏のせいか観光客はまばらだった。すばやく有留めぐみはトラックの幌を開
け荷台のゴムバンドをはずし、三個のダンボール箱を前方から荷台の後ろに移動させる。
ダンボール箱のふたが開かないように貼ってあったガムテープを引き剥がす。公園の清掃
員が近くにいないことを確認すると、ダンボール箱をかかえ、トラック荷台後ろの草むら
に持っていった。そしてダンボールをひっくり返し、中から新昆類の群れを草むらに放し
た。幌が間昼間の死角となった。めぐみはその作業を三回反復すると、空になったダンボ
ール箱を荷台に戻し、濃い草色の幌を閉めた。そして公園の出入り口まで歩いていった。
公園前道路の向こうに「海軍さんのカレー」という食堂があったので、そこで食事をする
ことにした。

 三笠公園の東には米海軍横須賀基地があった。そして横須賀は米海軍原子力空母の母港
でもあった。ヴェルニー公園と三笠公園の二ポイントでの新昆類放出、三笠公園では三個
のダンボール箱から三百匹の新昆類が放されたことになる。昆虫ウィルスの宿した生物兵
器の母体は原子力空母に侵入し、アメリカ本土へと太平洋を渡航していくはずだった。原
子力空母の乗務員は五千人だった。毎日五千人の食事をつくる空母の厨房はどのホテルよ
りも巨大だった。ゴキブリが進化した新昆類はそこで繁殖するはずだった。電磁波に放射
されながら飼育され世代を更新してきた新昆類、米海軍原子力空母が出す電磁波環境のな
かで新世代が誕生するプログラムでもあった。

 横浜駅西口で渡辺真知子と泥荒をひろい、湾岸線から首都高速に入り、東北自動車道へ、
そして矢板ICで降り、高原山をめざす行程をめぐみはイメージしながら、「海軍さんの
カレー」の店で食事をした。外が暑いので冷えたビールを飲みたかったが、冷たいウーロ
ン茶でがまんをした。真夏の太陽に燃えたロードを南関東から北関東へトラックで走るの
は忍耐力がいる労働だったが、夜には高原山の麓でビールが飲めると楽しいイメージでお
のれを鼓舞した。



【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度) 第1次予選落選】

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「自衛隊+在日米軍」の実力―知られざる「防衛システム」の正体!
梅林 宏道
情報公開法でとらえた在日米軍
日本共産党中央委員会出版局
総点検 在日米軍基地
藤井 治夫
日米共同作戦の徹底研究―トップ・シークレット
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