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2006年11月25日 (土)

小説  新昆類  (24-1) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

 一九二九年ニューヨーク発「アメリカが死んだ日」株式暴落、世界恐慌同時大不況の突
入と戦乱の三十年代。イギリス・USAはケインズ社会政策をとりいれる経済政策によっ
て資本主義の循環危機を保守。スペインにおける人民戦線政府の誕生とそれをめぐる反動
勢力の転覆攻撃。ドイツ社会民主党の労働組合運動と選挙運動を帝国主義社民と批判し、
社民内分派闘争としてリープクネヒト・ローザ・ルクセンブルクによるドイツ共産党の創
出と、その指導による労働者武装蜂起の失敗。このとき、ドイツの政治空間は選挙ではな
くドイツ共産党員三十万人と、あたらしく勃興した国家社会主義党の街頭であった。スタ
ーリンに忠実であったドイツ共産党は三十万人の党員をかかえながら、ドイツ労働者の指
示を失い孤立。ナチスたる国家社会主義党は金融・銀行攻撃とユダヤ人排撃と反共突撃隊
によって、急速に支持を拡大し、やがて選挙で第一党になる。ヒットラーは国会放火がド
イツ共産党であるとする捏造によって、ドイツ共産党を壊滅。ナチズム運動の爆発的拡張
は国民的運動となった。なぜ、ドイツ共産党が敗北したかといえば、当時のスターリン指
導による世界共産党たるコミンテルンが「労働者の祖国ソビエトを守れ!」が第一方針だ
からである。国家社会主義党と競り合っていたとき、ドイツ共産党の演説は、「コミンテ
ルンはこういう方針をだした!労働者の祖国たるソビエトをまもれ!」という国際主義し
か演説できなかった。ドイツ労働者の動物的本能の自己遺伝子と模倣子に接近できた演説
は国家社会主義党の側であった。ナチズム突撃隊は資本主義への憎悪を扇動したのである。
資本主義=ユダヤ人となり、商人たるユダヤ人は排斥された。これが近代市民社会の原罪
である。ドイツ革命の失敗は世界史に大きな打撃を与えた。結局、プロレタリアートは、
ナショナル(国)からインターナショナル(国際)へ転換できるのか? という命題であ
る。

 ドイツ社会民主党が中心になってつくった第二インターネショナルにおいては、プロレ
タリアートは国民国家に組織され、戦争に動員されてしまった。人類という概念ははたし
て存在するのかということである。同類どおしが殺し合いをやる人間とは、はたして類的
存在であるのか? という根底的懐疑から人間存在に絶望するニヒリズムは誕生する。二
十世紀の哲学的命題はすべて第一次世界大戦後に出現してしまっていると、いわれている。
敵対し国民国家どおしの世界戦争に愛国主義により戦争に賛同し解体した第2インターナ
ショナルの反省から、ロシア革命勝利による全世界労働者の鼓舞と高揚からレーニン指導
によって誕生したのが、第三インターナショナルである。しかし、レーニン死後、スター
リンによって、「全世界労働者は労働者の祖国ソビエトを帝国主義とファシストから防衛
せよ!」に転換させられた。この革命的批判として、スターリンとの党内闘争に敗北し追
放されたトロツキーによって建設されたのが、第四インターナショナルであった。ユダヤ
人であったトロツキーは世界共産党の悪魔として固有名詞にされてしまった。いわゆる
「トロッキストの策動」という固有名詞である。こうしてトロツキーはスターリンが放っ
た暗殺者によってメキシコで頭蓋骨をピッケルで割られるという思想者特有の暗殺のされ
方で殺された。日本においては一九七七年、ある党派がおのれの哲学と政治思想を批判す
る敵対党派の最高指導者を二名暗殺した。その指令の方法はスターリンと類似していた。
まず、頭蓋骨を叩き割るのである。永遠にその頭から思想と言語が飛び出さないように、
まず頭蓋骨から殲滅するのであろう。

 これこそがイデオロギー戦争の現実原則が激突するアンダーグランドの政治空間である。
「自民党の汚職には怒りの一票で」などと、はしゃいでいる近代市民社会には、本来の政
治空間などは存在していないばかりでなく、市民社会とは成人式の晴れやかな、つぎから
次へと出現する衣装の豊富な量であり、不断に自己の裸身を着飾ることが制度となってい
る。市民社会とはアトミズムなのだ。動物的本能をかくすことに最大限のエネルギーをさ
くのである。ゆえに疎外された仮想関係として成立している。市民社会とは人間が商品で
あることを前提とする不断の商品再生産システム装置。ゆえに商品を汚し分析し批判する
イデオロギーは嫌悪されるのである。「あなた暗いわね」と。たしかに七十年代は暗かっ
た。国家権力に反対する青年たちを、「あいつらは、連合赤軍だ、きおつけろ」こうした
言葉で、自己を正当化し、ひたすら、経済とマイホーム獲得に奔走してきたのである。自
分の企業がもうかれば自分の給料があがる、という高度経済成長が国民的価値観であった。
土地を取り上げられた三里塚農民の叫び声も全国農業協同組合は無視したばかりでなく、
国家官僚の指示で、農作物を市場から排除したのである。国家に反対するものには、徹底
した弾圧と排除を!アンダーグランドにたたき落とせ! これこそが市民社会の原罪であ
る。ゆえに日本とは明治近代成立時からふたつの空間に分裂してきたのだ。アンダーグラ
ンドにおいては何人もの政治青年たちが殺され、あるいは思想において自殺してきた。情
念のマグマと鬼怒一族・有留一族の古来からの怨霊は通底している。

 現在の日本における根底的危機とは、六十年代から七十年代の街頭世代としてのスチュ
ーデント・パワーを上部構造とシステムに迎え入れなかったことによる。フランスでは六
八年パリ五月革命世代を八十年代の社会党ミッテラン政権時において文化大臣にまでさせ
て、歴史が迎え入れることに成功した。USAにおいても、クリントン・ゴア政権として
迎え入れることに成功した。中国においても紅衛兵世代は指導的立場で活躍している。し
かし日本はこの世代を政治から徹底的に排除した。ゆえに日本の団塊の世代はある無意識
な動物的本能をもって、日本解体を促進している。全共闘世代は街頭と社会において侵略
戦争を経験した軍人世代によって敗北を強いられたのである。日本システムが受け入れた
のは、六八年世界街頭運動への傍観者であった人間か、あざやかに変節した人間のみであ
った。世界的に街頭パワーとして表出した団塊の世代とは、第二次世界大戦後すぐに誕生
した世代である。その自己遺伝子と模倣子には世界大戦が根源にある原子を内包している。
原子爆弾の世代といっても過言ではない。ゆえにおそるべき世代なのである。九五年オウ
ムによる無差別テロとして東京中枢に戦争を行使した戦略参謀としての人物はこの世代だ
った。まさにアンダーグランドからの市民社会に対する正義なき最初の一撃であろう。

 世代圧殺の森として霞ヶ関を敵と射程したのはなぜか? 問題は有名大学出身の三十歳
代というスキル世代ではない。問題は六十年代から七十年代を街頭へと疾走した世界紅衛
兵世代である。パリニューヨーク・ワシントン・北京・ソウル学生四月革命・そして日本
各地の都市と大学・高校その地球的連動とは、やはりこの世代が原子爆弾という、ある物
質とある物質が衝突するとき、すざましいエネルギーが表出するという原子を、おのれの
動物的本能たる自己遺伝子と模倣子に核として作動させているからである。あいまいな態
度に終始して日本全国のお客さんを失望のどん底たる幻滅をあたえてくれた自民党・加藤
六十歳世代はよく「日本をダメにしているのは責任を回避する五十歳代である全共闘世代
だ」と、憎悪して、言う。しかしかれらの弱点は、自民党・加藤によって明らかになった。
いわゆるマス・メディアにたいする根底的懐疑が欠如しているのだ。たしかに社会人とし
て優しき大人ではあるが、おのれをめぐる情勢分析が、あまりにも自己解釈として作動す
るのである。いわゆる戦争をしらないのであり平和でなければならないという、神話にあ
る、小市民としての典型である。

 「およそ、戦争は人間の弱点を前提とする。そしてまさにこの弱点を衝くことを本旨
  とするのである」                クラウゼヴィッツ『戦争論』

 ところが現在五十歳後半~60歳前半としての団塊の世代は、その青春時において、同
世代が党派闘争として戦争をしてきたのである。かれらは子供の頃からエネルギッシュに
同世代人口が多いため競合してきた。まさに競争によって鍛えぬかれた世代であり、知識
欲は優れている。そしてかれらの動物的本能たる原子は戦争であるから、組織形成は軍隊
として自然生成させることができる。運命づけられた組織者なのである。そこに六十歳代
後半のごとく、「あれも、これも」という逡巡はない。まさに農村から北京に結集し文化
大革命をなしとげた紅衛兵の世界同期世代なのだ。

 日本は再度この二十一世紀ゼロ年代に、アンダーグランドから第二撃が、出来事として
現出することは間違いないであろう。この帝国主義市民社会とアンダーグランドが、ふた
つの日本として分裂進行していることこそが、最大の危機なのである。これをマトリック
ス政治空間という。二重言語と複合、いまなお、われわれは寺山修司と三島由紀夫の呪縛
にある市民社会に生きている商品である。

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中村 哲
1930年代の東アジア経済―東アジア資本主義形成史〈2〉
今橋 映子
パリ・貧困と街路の詩学―1930年代外国人芸術家たち
F.L. アレン, Frederick Lewis Allen, 藤久 ミネ
シンス・イエスタデイ―1930年代・アメリカ
児玉 数夫
1930~1950年代 洋画アドグラフィティガイド
成田 龍一
“歴史”はいかに語られるか―1930年代「国民の物語」批判
田中 仁
1930年代中国政治史研究―中国共産党の危機と再生
吉原 正彦
経営学の新紀元を拓いた思想家たち―1930年代のハーバードを舞台に
堀江 あき子, 谷口 朋子
こどもパラダイス---1920~1930年代 絵雑誌に見るモダン・キッズらいふ
奥 須磨子, 羽田 博昭
都市と娯楽―開港期~1930年代
富田 武
スターリニズムの統治構造―1930年代ソ連の政策決定と国民統合
和田 英次郎
スピードとエレガンス―1930年代の車たち
中谷 彪
1930年代アメリカ教育行政学研究―ニューディール期民主的教育行政学の位相
高取 英
寺山修司
寺山 修司
寺山修司演劇論集 (1983年)
寺山 修司
パフォーマンスの魔術師―寺山修司の芸術論集
寺山 修司
寺山修司の仮面画報
寺山 修司
アメリカ地獄めぐり―性・暴力・詩・映画・演劇・政治 寺山修司評論集 (1969年)
前田 律子
居候としての寺山体験
三島 由紀夫
宴のあと
保阪 正康
三島由紀夫と楯の会事件
三島 由紀夫
中世・剣
村松 剛
三島由紀夫の世界
三島 由紀夫, 古林 尚
三島由紀夫最後の言葉
松本 徹
三島由紀夫 エロスの劇
三島 由紀夫
金閣寺

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