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2006年11月12日 (日)

小説  新昆類  (41)  【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

  エピローグ
     

 十二月の山道を歩いていた泥荒はテルのまなざしの意味をかんがえていた。やがて山道
は南北に走るちいさな盆地に出た。山に囲まれた増録のちいさな田園風景である。道はこ
こで二手に分かれる。ひとつは西側で今は消却された昔の寛の隠居屋敷への道で、道沿い
に誰も使用していない別荘が二軒建っている。小堀建設産業が建設し売りに出した別荘だ
が買い手はいなかった。もうひとつの道は東側で、亡くなった作蔵さんの長男であるノリ
オさんの家に至り、喜連川の河戸へと続く道だった。泥荒の原体験こそこの増録の開墾さ
れた田んぼとそれを囲む森林だった。田んぼは稲刈りが終わる秋、一面に野草の花が咲い
た。その花畑で子供たちは遊んだ。山に入ると植物の豊穣の海だった。台風が過ぎた山は
雷によって木が裂かれていた。山のくぼ地には大雨によって湖が出来ていた。人は自然か
ら学習していった。貧しかったが素朴で美しいものがかつての里山にはあった。変貌した
のは人間とその環境だった。

 泥荒は東側の道を歩いていった。ノリオさんの家の脇を通るのだが庭にはノリオさんの
奥さんがこちらを不審の目で見ている。おそらく泥荒が財産を盗む人間であると判断して
いることは泥荒にも感じてくる。増録は本宅のマサシが山を売ってから開発業者に荒らさ
れてきた。それで警戒の糸を張り巡らせているのだ。泥荒はお辞儀をしてまっすぐに歩い
ていった。やがて左側の山沿いに西豊田集落の共同茅場が見えてきた。ここは屋根をふく
茅を育てていた場所だったが、いま茅の屋根の農家はほとんど皆無となっている。右側に
は泥荒の遠い親戚の農家と田んぼがあった。やがて泥荒は三叉路に出た。直線をそのまま
行けば喜連川の河戸へと至り、左折すれば西豊田へと至る道だった。泥荒は河戸への道を
歩いていく。田園風景の田んぼには東京電力が首都圏に電気を送る送電線の鉄塔が東京に
向かって並んで建っている。冬の太陽は沈みかけている。河戸の商店である加藤雑貨店の
四つ角に着いたのは午後五時近くになっていた。子供の頃、泥荒は増録からこの加藤雑貨
店にテルにいわれ味噌や醤油、塩などの買い物に来たことが何度もあった。加藤雑貨店が
今でも店をやっていることに泥荒には感銘した。記憶の店は現有していた。

 そこから泥荒は矢板へ至る道へと右折した。右側の山に加茂神社があった。ここが増録
から河戸に至る山並みの南端となる。泥荒はその山を囲む道を歩いてきたことになる。加
茂神社は大きな神社だった。石段の前には神社を守る人家の小屋があった。泥荒は石段を
登り社殿に参拝してみた。社殿の裏から山の頂へと続く細い山道が残存している。社殿の
境内から下がった東側の場所に神輿が奉納されている社があった。しかし戸は風によって
壊れ、神輿のところに倒れている。長いこと修復もされていないのは、祭りが途絶えたか
らであろう。泥荒は加茂神社の石段を降り、人家の小屋に明かりがついているので窓から
声をかけてみた。窓から顔を出したのは一人暮らしの老いた男であった。人の良い顔をし
ていた。この老人とは知合いになっていた方がいいだろうと泥荒は判断した。山のことが
いろいろ聞けるからである。

「神社の写真を撮りに来ました。旦那さんもひとつ撮らせてもらっていいですか?」

 老人は愛想よく、うなづいたので泥荒は老人の顔をデジタルカメラで撮った。
 
「写真コンクールに入賞しましたら、お知らせしますので」

 老人はあぁと云って笑った。また写真を撮りにきますのでと云って泥荒は老人に頭を下
げた。これでまたここに来る理由ができた。泥荒は加茂神社の入り口から再び道路に戻り
矢板方向に歩き始めた。車のみが道路を疾走している。ここを歩いて行けば再度、昔あっ
たバス停留場の宮田へと至る。道は山を囲み回り込む形だった。その増録に続く山にはち
いさな神社の鳥居がいくつ道路から見えた。猿田彦の神社もあった。泥荒はそれらの神社
をくまなく時間をかけて観察した。そして社の風景をデジタル写真で撮る。後で分析する
ためだった。増録から河戸へと南北に伸びるこの山の一帯がいかなる時間の場所であるの
かを解析するには、まずいかなる神社が山にあるのか? それを知ることが始まりだった。
鬼怒一族と有留一族が手に入れた増録の山の領域を新昆類家畜牧場にするためには、接続
する一帯の山並みを六面体から多角的に調査する必要があった。それが泥荒の仕事だった。

 河戸から歩いてきた泥荒は増録に入る三叉路の角にある宮田の近くまで来ると、もはや
誰にも見分けがつかないだろう笹に覆われたデイアラ神社の入り口に立った。そして頭を
下げ礼をした。この山の一体は神社がたくさんある霊的ゾーンでもあった。ゾーンは絶望
する者だけを通すという言葉を泥荒は思い出していた。山の生態系がゾーンなのだと泥荒
は確信した。かつて高原山を追われた鬼怒一族が住んでいた場所だったからであろう……
高原山と増録の山、その植物情報体は今でも交信していると泥荒は体に感じた。そのとき
山の頂の上空にふたつの火の玉が飛んでいるのを泥荒は見た。子供の頃、増録で見た火の
玉を泥荒は思い出した。夜、火の玉は作蔵さんの家の上空を飛んでいた。あれは夏休みだ
った。夜、増録の子供たちが蛍狩りをしていたとき、火の玉は山から田んぼの上空に現れ
作蔵さんの家の上空を旋回し、そしてまた山の方向に消えていった。泥荒は声を出して火
の玉の行方を追っていた。

 あれも夏だった。寛の隠居屋敷の奥にある泥荒の貧しい家族の部屋で寝ていると、開け
てあった雨戸から、ちいさなふたつの火の玉が入ってきた。泥荒は恐怖に震え、ふとんを
頭からかけ、すこしだけ顔を出し、その火の玉の動きをおそるおそる見ていた。泥荒の他
は家族のみんながいびきをかき寝ていた。ふたつの火の玉はやがて雨戸の外に出て行った。
それから泥荒は眠ってしまった。朝、目覚めるとそこは山の中だった。泥荒は自分が何故
ここに寝ているのか理解不能だった。おそらく兄たちがいたずらをして泥荒が寝ていると
き、ここまで部屋からかついできて、置き去りにしたのだろうと泥荒は思った。そこは寛
の隠居屋敷の奥からまっすぐに伸びた細い山道沿いの場所だった。泥荒は朝もやのなかを
家族が寝ている家まで歩いて帰った。裸足だった。寛の隠居屋敷その奥に住む家族の部屋
の雨戸は開けてあった。そこから泥荒は中に入ると自分の寝床に入りまた眠ったのである。
それは意味不明の体験だった。泥荒は火の玉の導くまま連れてこられ、山の中で鬼怒一族
の記憶装置を体の中にインプットされたのかもしれなかった。それから泥荒は山の中で眠
るのが好きになった。泥荒は豊田小学校に入学しても一年生からよく学校をずる休みして
昼間は山の中で過ごした。学校は山だった。山をひとり歩き山のゆるやかな草の上でひと
り眠るのだった。泥荒は間違いなく山に憑依された子供だった。そして泥荒は山の神の声
が動物的本能で聞こえる人間となった。

 もう一度だけ、もう一度だけデイアラ神社にお参りをしていこうと、泥荒は夜の帳が下
りる奥の細道を登った。木で造られた鳥居をくぐり社の前で拍手をひとつ打った。音は増
録の山に浸透していく。礼をして下を振り返ると成田の田園風景が夕暮れの濃紺に染まり、
人家のちいさい灯りが見えた。時間は午後六時になっていた。泥荒は今日の調査はここま
でだと判断した。次回はここから北の成田へと接続している山の領域を調査する必要があ
った。山道を確認しそして神社を確認する、デイアラ神社から山の頂にそって南側の河戸
方向の山中も調査しなくてならない。今日の歩きは外形をなぞったに過ぎなかった。時間
はたっぷりとあると泥荒は山から三叉路の宮田まで降りていき、アスファルト道路から成
田の田園地帯を見回した。前方の矢板方向の山はゴルフ場になっている。泥荒は矢板の町
の方向、太陽が沈んだ西へと歩き出した。車が何台もスピードを上げて疾走していた。泥
荒にとって調査とは歩行だった。乗用車に依存した文明は没落すると泥荒は確信していた。

 泥荒の歩行は2015年体制への準備だった。新昆類は増録の山で野生化し、やがて日
本列島の山中に棲息していくだろう。弥生人に復讐する縄文人の荒魂は新昆類に託された
昆虫情報体の羽根にあった。羽根は世界を昆虫の交通関係として構築していくエネルギー
だった。羽根は植物情報体の豊饒の海で育っていく。それが山の中身だった。鬼怒一族と
有留一族が進行させている新昆類の事業こそは、もうひとつの日本でもあった。二十一世
紀に縄文の血を継承し、山岳修験道の鬼怒一族と有留一族が、今なお生存していることに
ひとつの奇蹟があった。泥荒はひたすら高原山をめざし夜の中を夜に溶けて夜を歩いてい
った。2015年に実修実証の朝はやってくるはずだった。

 欺瞞を強権によって貫徹した大室寅之祐明治天皇王朝のラストエンペラーは……
2015年体制へのオリエンテーションこそ新昆類だった。

 新しい朝は、明治より古い朝の継承でもあった。

「さあ、行くべ」

 ミツ子の声が泥荒を不安に満ちた未来への歩行へと励ました。

 平成十八年、十二月二十九日、有留源一郎と史彦は鎌倉寺山を出発した。鎌倉寺山の森
林からラフォーと猿の群れが見送っていた。史彦は高原山でディアラフォーと対面するは
ずだった。史彦の阿頼耶識はラフォーによって訓練されていた。意識下の意識、そこにも
うひとつの日本があった。高原山で史彦が「でぃあらふぉー」と叫ぶとき、間違いなく、

2015年体制は記憶の重力となって、猿人類の地球マトリックス、その母体が船となって
WINDOWSから見える異史は記述されていく。そして寺山の修司は現在進行形だった。


                                     (了)

四百字詰換算 458枚

【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

41回に分割しアップロードさせていただくことになりました。

2007年度秋、応募投稿締め切りの
第2回日本経済新聞小説大賞への応募投稿めざして、新作を構想中であります。

日本文芸界の創造的破壊を試みるのは、第1回日経小説大賞応募者の圧倒的
多数であった50歳代~60歳代の男性です。

第1回敗退から再び、第2回応募へと挑戦し、1千万円を奪い取りましょう。
いつまでも女どもに負けてはいられません……

日本文芸界の創造的破壊に挑戦できるのは、われわれ
50歳代~60歳代の野生化した動物化した男たちです。

おのれのきんたまを握りながら、書いていきましょう。
孤独のなか、文が出てくるまで、耐えがたき耐え、
偲びがたきを偲び、持久戦争として構え、一文一行へと進んでまいりましょう。

「出来る 出来る やる気があれば 必ず出来る」
「この小説をラストシーンまでもって走り続け、必ず、エピローグのピリオドを打つ」

刻苦奮闘の精神で書いていきましょう。

机の前で考え込みうなってばかりいると、体が肥満になり
健康を害しますので、散歩へ行き、体操をしましょう。

書いていると胸を圧迫し、呼吸が浅くなってしまいます。
三十分間に1回は外に出て、新鮮な空気を吸い、深呼吸しましょう。

酸素を取り入れなければ、思考が働きません。
小説はほんとんど時間をかけた思考労働の産物であります。

気合を入れて、1時間に1回は大声を出しましょう。

とにかく書いていきましょう。がんばりましょう。

読んでいただき、ありがとうございました。

この小説を、2006年3月21日、朝方、スーパーマーケットの駐車場で亡くなった
【新じねん】おーるさんに捧げます。

【新じねん】
http://csx.jp/~gabana/index.html

【新じねん保存サイト】
http://oriharu.net/gabana_n/

-----------------------------------------
阿修羅より転載

大室寅之祐近代国民言語に抗する「実践と場所」--マルクス主義の日本的土着化
http://www.asyura2.com/0610/bd46/msg/369.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2006 年 10 月 29 日 11:04:20:

(回答先: イギリス大帝国の傀儡、日本帝国の現人神、大室寅之祐近代国民言語に抗する「実践と場所」 投稿者 愚民党 日時 2006 年 10 月 28 日 18:21:17)

>日本文芸界の創造的破壊に挑戦できるのは、われわれ50歳代~60歳代の野生化した動物化した男たちです。

いやあ立派な決意だす。その意気で日本の文芸界さ新風ば送りこむべす。
芸術家が文化理論戦線の一部ば構成して、しかも理論的には退廃の一途だ。
何たる脱イデオロギー。

団塊世代がたくらむのは、革命めざして立ち上がったにもかかわらず、70年安保で挫折すたおのれとの苦しい戦いさ終止符ば打つこと。サラリーマンさなってもう卒業だかんね。人生の卒業ではねぐて疎外労働とのお別れだ。そのごに待ってる地獄のような年金生活。サラリーマンやってたぐらいまだ生きるんだよ、まだ。年金は反比例のスライドだべ。蛇の生殺しだべ。モーレツに働いたごほうびがこれだ。やっぱすい、こんだけ大量の世代がいつまでも生き残るってことは、こりゃなんかあるぜ、おっしゃるとおりだ、愚民党さあ。大量の読者が待ってるぜ。

みながみな日和ったわけではねえはずだす。優秀な活動家が一級公務員さなったすい、大企業の重役までなってるだが、それでもおらみてな乞食と会うし、むがすに戻ってパンツずらすてきんたまにぎりあって喜び合う。んで腹ばようぐ見るんだ、黒くなってねえか。んで、黒くねえかわりに膨らんでる。みな腹さ一物もってっるってわけだ。みなおらより読書家だ。

町内のそこいらじゅうさ年寄りが佃煮のごとく溢れる。なぜか政治づいてる。
楽しみだにゃ。

読者が待ってるのは愚民党さんの意気込みの入った小説だべ。

「実践と場所」はクロカンの代表作だなす。マルクス主義哲学ば日本的土壌さどのように定着さすべきかば示す名作だべ。んだから、日本の「民俗」ばようく研究してるし、その研究態度・方法は本署の底に唯物史観が貫かれてる、いわば唯物論的民俗学だな。
おらもクロカンが死んでから買ったんだ。読みたくてもカネがねぐて、そのうちよむべって思ってたら、死んだって聞いたもんで、大慌てで買ってきたんだ。

その前に「社会の弁証法」ば買って読み直してる最中だすよ。これはむがすのシャタン(社・探、「社会観の探求」)の改版なんだども、何十年かぶりに読み直してるわけだす。

サラリーマン時代で哲学書はストップすてたもんで、老人パワーの原点ば再確立(あるいは新たにスタート)するために、今度はていねいに読んでる。「実践と場所」はまさすく哲学の「場」でありそれは「現在」だと思う。つまりおらの生きている社会だべす。愚民党さんが現在小説の中さ対象化すようとすてる現実だべな。

ただすい、小説ば書くときは、社会ば分析した上で小説ば書くっつうのは手法上は間違いだな。んだらばそれは社会科学の領域であり、論文とすての産物だ。すると、小説の中味は論文の例証に終わる。作者も例証さこれ勤めるために、登場人物が動かねぐなるんだべ。んで、分析できねげればそれで小説は終わりとなる、あとが書けねぐなんのよ。フィクションであれ、作家の直感が大事だ。その上で描かれた内容が活き活きとすた人間や社会が描かれているならば、すぐれた作品となんだべつ。これは「社会の弁証法」さ書かれてる。

だとすても、この国家独占資本主義のもとで疎外された人間の社会ばリアルに描き出す小説ができあがることば期待すてっかんね、おらは。

あえて言わせてもらえば、実践とは哲学実的践も含んでいるがんね。この苦闘の伝わらねえ作品なんて、読んだだけ時間の無駄だ。「蟹工船」「夜明け前」ば超えた小説ば望む。

忠告だすが、おらのこの欲望さしばられねえように、まい進してけろ。
基本はあくまで言語表現だ。丸山健二だよ。校正校正校正、改稿改稿改稿。忘れねで。

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