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2006年11月27日 (月)

小説  新昆類  (4-1) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

 デイアラ神社には巨大なイチョウの幹がふたつあった。そのイチョウの大木は、北鎌倉
の縁切り寺、東慶寺境内にある後醍醐天皇皇女用堂尼の墓、それを見守るイチョウの銀杏
を、東慶寺の尼僧が広い集め、旅に出て、日本各地の寺院や神社に植えたひとつであると
いう成田村の伝説がある。豊かな田園地帯の成田村は増録村の隣にあった。増録村は豊田
村の人間が、第二次世界大戦後、開墾していった地図には載っていない山に閉ざされた
ちいさな村だった。

 山はひとつの国境でもあった。成田村の子供たちの遊び場は平地の田んぼや畑だった。
誰も山に遊びに入らなかった。デイアラ神社は増録村の子供たちに占有された遊び場とな
っていた。東に那須郡野崎の豊田村、西に塩谷郡矢板の成田村があった。豊田村も成田村
も豊かな田園地帯だった。戦後、豊田村と成田村は町村合併で矢板市に編入された。

 デイアラ神社は成田村の神社だった。成田村には矢板と喜連川を結ぶ街道が通っていた。
成田村と喜連川の河戸村の境付近にに宮田という地点があった。その宮田からデイアラ神
社に登る山道がある。入り口には石の草木塔があった。その草木塔に刻まれた文字から判
別すると、デイアラ神社は、江戸時代の安永九(一七八〇)年十一月に、干支庚子の「二
十三夜供養」とし成田村の女たちによって創建された。女たちが造作した神社なので、掘
っ立て小屋だった。二十三夜供養とは、村の女たちの講でもあり、デイアラ神社は講の場
所でもあった。よく旅の尼僧が宿泊し、講に集まってきた村の女たちに、古来からの言い
伝えや、江戸の様子などを伝えたらしい。

 天明元年(一七八二年)秋が深まり、山が紅葉に染まった日、北鎌倉の東慶寺の尼僧が
デイアラ神社に訪れた。その夜、村の女たちは、尼僧の歓迎に食べ物を持ち寄り、二十三
夜講を開いた。尼僧は村の女たちに、昔の話をした。

 村の女たちが尼僧から聞いたところによると、遥かな昔、高原山の鬼人を、元正天皇の
時代、藤原不比等さまの命令で大和朝廷軍が退治したそうな。しかし、日本書紀が完成し
た年、藤原不比等さまは、平城京に密かに潜入していた高原鬼人である鬼怒一族の毒矢に
よって殺されてしまったそうな。朝廷は大いに悲しんだが、都に潜入していた鬼怒一族は、
坂上田村麻呂将軍さまの先祖である朝廷軍の東漢氏によって、ことごとく捕まり処刑され
たそうな。不比等さま死後、隼人と蝦夷という鬼退治戦争は、朝廷と平城京安泰の柱とな
ったそうな。

 不比等さまの子、藤原房前さまは高原山の怨霊を鎮めるため、平城京の僧を鬼怒一族の
里である高原山に派遣し鬼人の怨霊を封じ込めるための大祈願を勤行したそうな。奥州国
造りの最大拠点たる多賀城(宮城県多賀城市)が完成した七二四年、平城京の僧侶行基さ
まは、高原山周辺に国家仏教と水田稲作を普及させる精神的支配の拠点として
高原山剣ガ峰の麓に法楽寺を造営したそうな。

 寺院と神社は鬼の怨霊を封鎖する霊的結界であると尼僧は村の女たちに話した。そして
寺院と神社を子孫代々至るまで守ることが、家を守る女の勤めです、と説教した。

「どうか、国の安泰祈願のため各地にある寺院・神社の境内に私が育てたイチョウの木
の種を植えておくれ、これが後醍醐天皇皇女用堂尼様の遺言でありました。鬼の怨霊が地
獄から復活しないように、日本各地にあるお寺では早朝から毎日、日本安泰祈願の勤行を
しています。朝廷と仏教こそが日本を毎日、守っているのです。私ども鎌倉の東慶寺の尼
僧は後醍醐天皇皇女さまの遺言を守り、こうして日本各地の寺院と神社の境内に銀杏を植
える旅に出ているのです。また下野国は東慶寺を開山されました北条時宗夫人覚山尼さま
と縁が深い場所でした。どうか、皆々様方、家の安泰は天皇様と仏様が毎日、守っている
と念じていただき、信仰の礎が何処にあるかを、一日に一回は思ってくださいますよう。
生きとし生きるもの、草木、ひとつひとつに神と仏は宿っていますに、皆様方の心のなか
に神と仏は宿っております」

 村の女たちは、月夜の晩の二十三夜講で、ありがたく尼僧の教えを聞いた。
 
「これは後醍醐天皇皇女様の松ヶ岡御所の銀杏です。地に植え、オスとメスの木が生長す
れば銀杏が実り食べられます。明日の朝、食と泊まらせてもらったお礼に、この神社の境
内に植えましょう。どうか大切に育ててください」

 尼僧は村の女たちに言葉を残し、翌朝、行基ゆかりの高原山へと向かっていった。尼僧
の旅の目的は高原山の山岳密教、修験道寺山修司寺の境内に銀杏を植えてくることで
もあった。修験道の聖地高原山は女人禁制だった。
尼僧は後醍醐天皇皇女様松ヶ岡御所の銀杏を山伏に渡し、寺山修司寺の境内に銀杏を
植えてほしいと託し、会津藩へと北をめざし旅立っていった。


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