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2006年11月27日 (月)

小説  新昆類  (3) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

 不比等死後、不比等の地位だった右大臣になり名実共に政権トップとなった長屋王は、
行基と藤原一族の陰謀におとしめられてしまった。天平一(七二九)年、長屋王は聖武天
皇を呪術で呪ったという嫌疑をかけられ、自決した。不比等の子、光明子が妃から聖武天
皇の皇后となることによって、藤原四兄弟による宮廷での地位は固まり、藤原一族は権力
を把握した。そして藤原一族の陰謀に加担した行基は大和仏教の統帥僧侶へと上昇してい
った。

 東北、出羽国と陸奥国の蝦夷を統治するためには、坂東、下野国の蝦夷反乱は壊滅され
ている必要があった。下野国の北部は陸奥道への入り口であり、ここが安全でなくては、
多賀城に東山道や東海道から万余の軍隊を派兵することはできない。下野国は奥州侵略の
前線基地だった。各村からは家族ごと農民が、蝦夷の領域であった地帯へ、屯田兵として
入植させられていった。蝦夷への遠征のたびに、若い男は兵士として動員され、下野国は
疲弊し、たびたび飢饉に襲われていた。前線基地での百姓反乱は、どんな小さな動きでも
許されなかった。百姓を監視する役割が高句麗・新羅から移植してきた渡来人屯田兵だっ
た。屯田兵によって河川周辺の土地を奪われ、山奥へと蝦夷は追われていった。渡来人に
とって蝦夷は意味不明の不気味な山岳の鬼だった。

 鬼とは古来から日本列島に居住していた縄文人だった。そして朝廷軍の軍神、坂上田村
麻呂のルーツは、「おもいかね」として神話に登場する公孫氏だった。2世紀後半、後漢
の地方官だった公孫度が遼東に国を築く。公孫氏は朝鮮半島まで浸透していくが、やがて
公孫氏は魏に滅ぼされた。逃れた一族は朝鮮半島の南部へとやってきた。そこで伽耶諸国
を創建する。公孫氏は金属の生産と加工に優れた技術を持っていた。さらには軍事技術が
あった。やがて公孫氏は伽耶諸国から日本列島に移住を開始する。そして歴代朝廷軍の主
力勢力となっていった。公孫氏坂上田村麻呂の系譜は、アテルイの反乱から二百五十年後
に勃発した前九年合戦で、安倍貞任、藤原経清ら安倍一族軍を鎮圧した、陸奥守源頼義と
その子八幡太郎義家に流れていた。渡来人系譜源氏の奥州征伐への執着は、源頼朝による
奥州藤原氏平泉炎上によって帰結した。

 雄大な高原山を拝める盆地には木幡神社があった。延暦十四(七九五)年、蝦夷征伐に
向かう坂上田村麻呂によって創建されたという。この地と古代那須国を結ぶ佐久山街道の
豊田には坂上田村麻呂の将軍塚がある。豊田将軍塚は、坂上田村麻呂将軍が宿泊したと伝
えられる、由緒ある場所とされている。そこで坂上田村麻呂は、延暦十四(七九
五)年、鬼怒一族に暗殺されたという異史がある。その伝承によると将軍塚は田村麻呂の
墓であるというのだ。田村麻呂の暗殺に驚愕した朝廷は、田村麻呂の死を隠蔽し、彼の弟
を田村麻呂将軍として祭り上げた。朝廷の自作自演が必要だったのは、東北蝦夷征服
の最後の切り札が田村麻呂将軍であったからである。朝廷軍は東北蝦夷征伐の遠征軍を派
兵するたび敗北していた。この地は東北反乱の蝦夷と切っても切れない関係にあった。木
幡神社には朱色の業火に焼かれ、逃げ惑う鬼たちの地獄絵が本殿の内壁に描かれている。
その鬼こそ高原山の縄文人である鬼怒一族とされている。木幡神社は大和朝廷軍が滅ぼし
た鬼怒一族の怨霊を永遠に封じ込めるための呪術神社とされているが、異史によると木幡
神社も鬼怒一族の社であったというのだ。鬼怒一族は社を未来永劫に残すために、坂上田
村麻呂将軍によって創建されという風説を下野全土に流した。蝦夷の知恵だった。

 前九年の役より二十五年後、頼義の子八幡太郎義家が奥州清原氏の内乱に介入した
のが、後三年の役だった。この後三年の役が東国における源氏の覇権と、武家の頭領と
しての地位を固めた。

 坂上田村麻呂系譜である、源氏の関東、東北支配を許すまじと、奥州アテルイの系譜で
ある安倍一族の反乱に呼応し、高原山鬼怒一族の同盟軍でもある八溝山の蝦夷岩獄一
族は、北坂東蝦夷の部族反乱を八幡太郎義家源氏軍に対して起こした。下野、常陸、奥
州にまたがる山脈こそ八溝山だった。

 鬼怒一族も八溝山に入り、北坂東蝦夷山岳ゲリラ軍の中枢を担ったのだが、源氏の家来
である那須貞信軍の亀裂な謀略によって、八溝山蝦夷軍は鎮圧されてしまった。那須貞信
は相模国から遠征軍を募り、総勢五千の鎮圧軍を形成した。八溝山の蝦夷討伐によって那
須貞信は朝廷から源氏の一党として那須国を与えられた。那須貞信は新興那須家の祖とな
った。

 新興那須氏二代目の那須資道は、八幡太郎義家の家来として、奥州征伐「後三年の役」
に従軍している。新興那須家の「那須国」は、源氏による奥州侵略の要基地となった。

 平家と源氏の「屋島の合戦」で、義経に命じられ、海の小船、平家の女房が持つ扇を射
止めたのが、弓で有名な那須与一。古来よりの那須国を奪った、貞信の系譜である。


 敗北し、屈辱的に殺された八溝山蝦夷軍の大将、岩獄丸は怨霊となった。



 木幡神社には八幡太郎義家が、奥州征伐へ向かう途中、戦勝祈願している。

「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろし
や」(白河法皇)

 白河法皇は源氏の頭角を恐れた。八幡太郎義家は白河法皇の陰謀によって、力を削がれ、
孤立化していった。最後は病死した。鬼怒一族の怨霊にやられたのだろうと白河法皇は、
院政の御所で薄く笑ったという。

「下野の高原山、その山が見下ろす里、木幡神社は源氏の軍神、坂上田村麻呂が奥州蝦夷
征伐祈願のため、建てたというが、実はのう……鬼怒一族が建てた怨霊社であるとか、結
界に入った蝦夷討伐の覇者は、復讐の霊に呪われるという、恐ろしや、木幡神社の云われ
をけして源氏に教えてはならぬ、宮廷の公卿にも知らせてはならぬぞえ」

 白河法皇は言葉に出さす自分を戒めた。
 
 鎌倉幕府を開いた源頼朝も那須野が原の狩のおり、先祖ゆかりの木幡神社に祈願したと
いう。その後、源頼朝はある日、相模川から鎌倉への帰途落馬し、御所で死んだ。

「もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」(源実朝)

 兄、頼家が追放されたあとを継ぎ、鎌倉幕府三代将軍になった源実朝も那須が原での狩
のおり、先祖ゆかりの木幡神社に祈願した。

 その後、実朝は、兄頼家の子である公暁に、鶴岡八幡宮の社前で正月拝賀の際暗殺され
た。公暁は、北条義時ら幕臣に実朝が父のかたきであると聞かされていた。兄弟を皆殺し
にした源頼朝の征夷大将軍系譜は消滅した。院政の後鳥羽上皇は、鬼怒一族の怨霊とは恐
ろしや、木幡神社に祈願するたび源氏が死んでいく……鬼怒一族を味方に引き入れなけれ
ばならぬ。かつて朝廷が滅ぼした山の民蝦夷を味方にせねばならぬと胸で誓った。そして
後鳥羽上皇は、今が鎌倉幕府打倒の好機と、京都守護伊賀光季を討ち、執権北条義時追討
の宣旨を発令し承久の乱を起こしたのだが、鎌倉幕府軍に敗退してしまった。後鳥羽上皇
は隠岐に流された。後鳥羽上皇の意思を蘇らせたのが後醍醐天皇だった。

 高原山と八溝山の源氏への怨霊をおそれた鎌倉幕府北条執権は、自らを平氏の出自であ
ると宣言するようになっていた。鎌倉幕府最後の執権である北条高時を裏切ったのが、
源氏の出自である足利尊氏だった。


 奈良時代に高原山から農耕奴隷として西国各地に流された鬼怒一族の末裔は、鎌倉時代
末期になり、後醍醐天皇による北条鎌倉幕府打倒の綸旨に応じ、後醍醐天皇の王子である
大塔宮が指揮する山岳ゲリラ軍に参加し、安芸の山の民である有留一族と共に、みごと北
条鎌倉幕府軍を敗退させる一翼を担った。しかし、山岳ゲリラ軍の将軍である大塔宮は朝
廷内の陰謀により、足利尊氏軍に引き渡され、鎌倉に送られてしまい、足利尊氏の弟であ
る足利直義の命令によって暗殺されてしまった。大塔宮を鎌倉から奪還し、山岳ゲリラ軍
の再建を計画していた鬼怒一族と有留一族は、大塔宮の死により展望を喪失し、西国に帰
還した。やがて朝廷が分裂し後醍醐天皇と足利尊氏の内戦が勃発した。鬼怒一族と有留一
族は吉野の山に入り、今度は楠木正成軍に加わる。しかし楠木正成軍は足利軍に敗れてし
まう。生き残った有留一族は一度四国に逃れ、そこから安芸の故郷に帰還。鬼怒一族は足
利軍による敗軍残党狩りを恐れながら流民となって西国を脱出し、坂東下野北部に向かっ
た。坂上田村麻呂将軍塚があり鬼怒一族の聖地高原山を拝める豊田村を開拓し住み着いた
という。豊田村の東には裏高原山の塩原から箒川が流れていた。箒川は那須国の那珂川へ
と合流する。






【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】


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上山 春平
埋もれた巨像―国家論の試み
福田 三男
下野古麻呂と藤原不比等
関口 昌春
羊太夫伝承と多胡碑のなぞ―藤原不比等は討伐されたか
小林 惠子
すり替えられた天皇―「長屋王の変」と聖武帝の謎
深谷 忠記
平城京殺人事件―「長屋王の変」異聞
大山 誠一
長屋王家木簡と金石文
森 公章
長屋王家木簡の基礎的研究
奈良国立文化財研究所
平城亰木簡 (2)
深谷 忠記
迷界流転―「長屋王の変」異聞
高橋 克彦
火怨―北の燿星アテルイ〈上〉
高橋 克彦
火怨―北の燿星アテルイ〈下〉
中島 かずき
アテルイ
久慈 力
蝦夷(エミシ)・アテルイの戦い―大和朝廷を震撼させた
菊池 敬一, 岩手日報社
北天鬼神 アテルイ・田村麻呂伝(3版)
新野 直吉
田村麻呂と阿弖流為(あてるい)―古代国家と東北
菊池 敬一
北天鬼神―阿弖流為・田村麻呂伝
佐々木 辰夫
阿波根昌鴻―その闘いと思想
松尾 紘一郎
伽耶から倭国へ―可也山から見える国
澤田 洋太郎
伽耶は日本のルーツ
尹 錫暁, 兼川 晋
伽耶国と倭地―韓半島南部の古代国家と倭地進出
安里 健
詩的唯物論神髄
李 盛周, 木村 光一, 原 久仁子
新羅・伽耶社会の起源と成長
湯地 朝雄
政治的芸術―ブレヒト・花田清輝・大西巨人・武井昭夫
湯地 朝雄
戦後文学の出発―野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の氷点』
武井 昭夫
戦後史のなかの映画―武井昭夫映画論集
武井 昭夫
層としての学生運動―全学連創成期の思想と行動
保坂 俊三
『日本』は伽耶にあった
室伏 志畔
万葉集の向こう側―もうひとつの伽耶
福永 光司
「馬」の文化と「船」の文化―古代日本と中国文化
波多江 英紀
漢王朝・劉一族と邪馬台国
加藤 謙吉
吉士と西漢氏―渡来氏族の実像
東 晋次
後漢時代の政治と社会
久野 美樹, 中森 義宗, 小林 忠, 永井 信一, 青柳 正規
中国の仏教美術―後漢代から元代まで
東 方朔, 葛 洪, 干 宝, 陶 潜, 任 〓@51C0, 王 〓, 羅 汝芳
和刻本漢籍随筆集〈第13集〉 (1974年)
高橋 一起
奥州王。―日本最強の異人種、安倍一族の戦い。
北上川流域の歴史と文化を考える会
平泉の原像―エミシから奥州藤原氏への道
関 幸彦
東北の争乱と奥州合戦―「日本国」の成立
高橋 崇
蝦夷の末裔―前九年・後三年の役の実像
小原 与三郎
陸奥の伝説―前九年の役,後三年の役,平泉藤原氏 (1977年)
入間田 宣夫, 本沢 慎輔
平泉の世界
高橋 崇
奥州藤原氏―平泉の栄華百年
大矢 邦宣
奥州藤原氏五代―みちのくが一つになった時代
大石 直正
奥州藤原氏の時代
高井 ふみや
金色堂はなぜ建てられたか―金色堂に眠る首級の謎を解く
網野 善彦, 石井 進
北の平泉、南の琉球 日本の中世〈5〉
星 亮一
悲劇の英雄源義経と奥州平泉
工藤 雅樹
平泉への道―国府多賀城・胆沢鎮守府・平泉藤原氏
北上川流域の歴史と文化を考える会
平泉の原像―エミシから奥州藤原氏への道
佐藤 和彦, 樋口 州男
後醍醐天皇のすべて
畑 正義
悲憤の緋縅―大塔宮と神池寺 (1974年)
アミューズソフトエンタテインメント
元禄太平記 総集編 後編~NHK大河ドラマ
邦光 史郎
太平記の謎―なぜ、70年も内戦が続いたのか
森 茂暁
闇の歴史、後南朝―後醍醐流の抵抗と終焉
網野 善彦
異形の王権
工藤 敬一
中世古文書を読み解く―南北朝内乱と九州
羽生 道英
佐々木道誉―南北朝の争乱を操ったバサラ大名
杉本 苑子
風の群像―小説・足利尊氏〈上〉
桑原 敏真
北畠顕家―足利尊氏が最も恐れた人物
小松 茂美
足利尊氏文書の研究 全4冊セット
河北 騰
足利尊氏人と作品

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