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2006年11月15日 (水)

小説  新昆類  (35) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

 渡辺寛之は昭和二十八年一月十七日、雪が深夜にかけて降った朝、高原山の寺山修司
寺本堂扉の前に置かれていた捨て子だった。寺の住職である渡辺日義が赤ん坊の泣き声
を聞き本堂に行ってみると綿入れのはんてんに囲まれていた男の子の赤ん坊が置かれて
いた。住職はすぐ捨て子であることに気づいた。住職は妻の恭子と相談し、まだ子供がいな
かったので育てることにした。名前を渡辺寛之と命名し日義の長男として出生登録をして戸
籍に入れた。四年後、住職の妻、恭子に女の子が産まれた。恵子と名づけた。

 渡辺日義は寺山修司寺の住職をしながら泉中学校の教師でもあった。そして塩原町に接
する矢板市泉地域社会福祉などの相談役でもあった。寛之と妹の恵子は寺山修司寺で日義
と恭子の愛情に守られ仲良く育った。その後、日義と恭子には子供ができなかった。

 東京オリンピックの翌年、渡辺寛之は泉中学校に通い一年生になり十二月末の冬休みに
なった。妹の恵子は小学三年生だった。恵子と寛之が寺の境内で石蹴りをして遊んでいる
と、下から山門の石段を登ってくる中年の男が見えた。ネクタイをして黒いコートを着た
男は、境内までやってきて、じっと寛之を見ていた。

「お坊さんはいらっしゃいますか?」と男は寛之に聞いた。

 寛之は母屋の玄関を指差した。ありがとう、そう言って男は母屋の玄関前にたち、ごめ
んくださいと中に声をかけた。母屋の台所からエプロンで手を拭きながら恭子が、はいと
答えながら男の前に立った。

「住職にご相談があってまいりました。有留源一郎と云う者です」

 男は名刺と塩原饅頭の菓子箱を恭子に渡した。名刺には有限会社有留鉄工取締役の肩書
きがあり、住所は広島県広島市安佐北区白木町大字有留125番地と印刷されていた。

「まぁ、わざわざ広島から」と恭子は名刺を見て驚いた。そして有留源一郎を土間に入れ、
どうぞと囲炉裏に腰をかけさせた。そして奥座敷で仕事をしていた渡辺日義の所に行った。

「あなた、広島からお客様です」恭子は名刺を日義に渡しながら、何の用かしらと不安な
顔をした。日義は恭子の不安を「きっと寺の歴史を聞きにやってきた人だよ」と打ち消し
た。

 有留源一郎の名刺を持ち作務衣を着た日義が土間の囲炉裏に姿を現すと、源一郎はてい
ねいにおじぎをした。源一郎は最初自分が住んでいる有留村の鎌倉寺山は高原山の寺山修
司寺と縁があるのかもしれないなどと話をしていたが、この寺に捨てられていた寛之のこ
とで相談があると切り出した。日義は子供たち聞かれてはまずいと、源一郎を奥座敷に上
がらせた。恭子は湯を沸かすとお茶を奥座敷に持っていった。そして土間に戻ると外に出
て、境内で遊んでいる寛之と恵子を確認した。寛之と恵子に、お客様が来ているので、外
で遊んでいるようにと言った。そして恭子は有留源一郎の話を聞きに奥座敷に入った。

 有留源一郎の話によると、寛之が産まれたのは、高原山の北側だった。高原山の北側は
塩原町である。高原山の中腹で、寛之の親は炭焼きを職業とし、炭焼き小屋で暮らしてい
た。寛之が産まれたのは昭和二十七(一九五二)年十二月だったが、寛之の両親は悪い病
気にかかり小屋で死んでしまった。寛之の両親を弔った炭焼きの仲間は貧しさゆえ、寛之
を育てることができない、それで寺山修司寺なら育ててくれるだろうと判断し、この寺の
本堂に翌年の一月十七日に、捨て子として置いていったとのことだった。

 有留源一郎と寛之の両親は遠い親戚であったが、交流はほとんどなく、高原山の炭焼き
の連中からも寛之の両親が死んだことは知らせてもらえなかった。塩原温泉に旅行で来た
ので、昨日、親戚である寛之の両親の炭焼き小屋を訪ねたら、廃屋になっていた。高原山
で炭焼きをしている人の小屋を探して、寛之の両親のことを聞いたら、すでに死んだとの
ことだった。高原山の炭焼き人から寛之の行方を聞いたの内容を有留源一郎は日義と恭
子に話した。

 高原山の山の民サンカが住民登録をしたのは昭和二十七年であった。それまで山の民サ
ンカは日本国民として戸籍に編入されていない。子供たちも義務教育を受けていず山の民
サンカは日本国民とは別の独自な世界で暮らしていた。有留源一郎は自分のところに寛之
の両親が死んだ知らせがこないのも理解できると話した。

 日義はありそうな話だ、うーんと唸った。でも寛之がその死んだ炭焼きの子供だという
証拠は……疑問を恭子は有留源一郎に投げかけた。右太股にやけどの跡があると炭焼き仲
間の人が話していましたが……有留源一郎は答えた。確かに……恭子がつぶやいた。寛之
の右太股にはやけどの跡があった。

「親戚の義務として、私のところで育てたいのですが……」

 有留源一郎は本題を切り出した。日義も恭子も将来は恵子が真言宗智山派総本山で修行
した僧を婿としてもらい、寺を継いでもらいたかった。寛之は高校までめんどうをみて、
東京に就職させるつもりでいた。

「いきなりそう言われましても……」

 日義は妻とよく相談をするから結論は待ってくれと有留源一郎に言った。
 
「もちろんです。今日、どうのこうのという話ではありません。私はただあの子の親が誰
であったかを知らせにまいり、私があの子の親戚であることをお伝えにきたのです。今ま
で育てていただき誠にありがとうございました。私の怠慢ゆえ、今まで来られなかったこ
とをどうかお許しください」

 有留源一郎は畳に額をこすりつけ謝り、日義と恭子に詫びた。
 
「突然来て、いきなりあの子をこちらで預かるなどと無礼な願いを言いまして……
そちらさまのお気持ちも考えず誠に申し訳ございません」

 有留源一郎の声と詫びる身体には真剣に裏打ちされた迫力がみなぎり、日義と恭子は圧倒
されていた。そのとき日義も恭子もこの人に寛之を託すしかないと判断した。

 その日、有留源一郎は深々と土間の玄関で頭を下げ、寺から去っていった。日義と恭子
の夫婦は寛之にどう説明していいかという重い課題を背負った。何よりも寛之を兄として
したっている恵子の反応が心配だった。兄と妹の関係を引き裂くことになる運命、しかし
子供たちは耐えるしかないだろうと日義は思った。

 昭和四十一(一九六六)年三月二十八日、寛之は有留源一郎に連れられ、寺山修司寺か
ら有留源一郎が住む鎌倉寺山、広島県広島市安佐北区白木町大字有留へと旅立つことにな
った。運命に翻弄され寺の山門を降りる寛之の中学生服姿は痛々しかった。肩から中学生
の布カバンをかけ、左手には旅行カバンを持っていた。有留源一郎も旅行カバンを持って
いた。寛之のこれまでの衣服や私物、勉強道具やこれまでの教科書、本類は、後から日本
通運で広島県へ、送る段取りとなった。山門の石段の両側は高い杉並だった。見送る日義
と恭子、恵子はお兄ちゃんと叫びながら山門を駆け下り、寛之の右腕を行かないでとつか
んだ。寛之は立ち止まった。寛之も肩をふるわせ泣いている。有留源一郎はそのまま山門
の階段を下りたところで待っていた。寛之は泣き叫ぶ恵子のしがみつく手を離しながら、
云った。

「恵子、しかたがないんだ。しかたがないんだ。これがおれたちの運命なんだ」
 寛之は自分にも必死に言い聞かせていた。

 恭子は山門の上から下に降りてきて、恵子を抱きしまた。
「恵子、お兄ちゃんとの別れはつらいけど、耐えるのよ。しっかりとお兄ちゃんの旅たち
を見送ってあげるのよ、寛之、つらくなったらいつでも帰ってきなさい。ごめんさい、寛
之、お母さんは、何もしてあげられなくて……」
 そして恭子は嗚咽をあげた。
 
 寛之に身体の底から慟哭が突き上げてきた。これ以上、恵子と恭子の前に立ち尽くすこ
とはできなかった。

「恵子、これを読め、おれがいなくなった後は、本を読むんだ。負けないで生きるんだ」

 寛之は中学用の布カバンからト壺井栄「二十四の瞳」を取り出し、恵子の手に渡した。
恵子はその本を動物的に強く握った。自分がいなくなった後の恵子が心配だった。

 寛之は涙を右腕を拭きながら、黙って山門を駆け下りた。四十八段ある山門の石段、
その第一段目に寛之の足が下りたのを見届け、有留源一郎は、山門の上で見守る寺山修
司寺住職渡辺日義に深々と頭を下げた。そして山門階段の真ん中で泣いている恵子を抱
きしめながら嗚咽を上げている恭子にていねいに頭を下げた。右手は拝礼し顔の下にあ
った。

「さあ、行くけんね」
 有留源一郎は、優しさの中に断固した意思と決意を寛之に波動させながら広島弁で云っ
た。

「寛之お兄ちゃーーーーーん、帰ってきてーーーーえ」
 
 そのとき、恵子のかん高い叫び声が、寺山修司寺を囲む山の空気に裂け目をつくった。
恵子の叫び声に鳥が一斉に空に飛び立つ。その羽音はさらに裂け目を増幅させていった。
有留源一郎は驚き樹木の枝に囲まれた空を見上げる。枝と枝の間を何匹の黒いむささびが
飛んでいる。有留源一郎は鳥肌がたった。動物としての危険信号を空気に感じた。身体よ
りの危機感と防衛本能を作動させながら、有留源一郎は山を降りていく。寛之は有留源一
郎の後に続き、寺山を降りていく。寺山修司寺が遠くになっていく、寺山に入る山道の入
り口まで来たときだった。猿の群れがふたりを待っていた。まだその場所は高原山の中腹
だった。周囲はひたすら山の森と林だった。

 有留源一郎は立ち止まった。寛之は源一郎の背中の後ろにいた。猿の群れの前にいる
大きな躯体をした猿王が一歩二歩と源一郎に近づいた。有留源一郎と猿王はしばらく動
かず相対していた。目線を相手からはずしたら終わりだと、源一郎はまっすぐに猿王の
眼を見ていた。

「おれは高原山の猿王トネリ。お前はその子をどこへ連れて行く」

 有留源一郎の意識下の意識に声が聞こえた。

「我は、広島、鎌倉寺山の有留一族の棟梁、源一郎なり。この子、寛之はわが有留一族の
古来よりの同盟軍、鬼怒一族の最後の人間なり。我は、高原山の鬼怒一族を再建せよとい
う先祖の霊声を鎌倉寺山で聞き、寛之を立派に鎌倉寺山で育てるために、ここにやってき
た」

 有留源一郎は意識下の意識、阿頼耶識で猿王トネリに返答した。
 
「その子は高原山にとって必要な者、返してもらわねばならぬ。その子を遠くへ連れて行
くことは、我ら高原山ばかりでなく、八溝山の怨霊、岩獄丸も許さぬと云っている。その
子をただちに返してもらうことは、高原山と八溝山の総意なり」

「返す、必ず高原山に返す。我は、この子、寛之を修行のために鎌倉寺山に預かっていく。
山県有朋一族に支配された高原山を奪い返すためには、この子の修行が必要なのだ」

 阿頼耶識で高原山猿王トネリと有留源一郎は真剣勝負の応答をしていた。
 
 そのとき、猿王トネリと有留源一郎の直線軸に対して、三角錐の地点に、新たなる猿が高
い木から降り立った。

「我は鎌倉寺山の猿王ウガンセンなり。有留一族の源一郎は必ず約束を守る。有留源一郎に
襲い掛かることは、鎌倉寺山の猿が許さぬ」

 ウガンセンの顔は幼少時にくらった、ヒロシマ原爆投下放射能の被爆風によって、頬の肉
が崩れ骨が見えていた。広島市安佐の鎌倉寺山に暮らしていた猿族は原爆投下によって、多
くの仲間が死んでいった。ウガンセンの姿態は高原山の猿に恐怖をもたらした。


 周りを囲む高い樹木の枝に、広島県の鎌倉寺山からやってきた猿の群れがいた。一斉に高
原山の猿は防衛体制に入った。一気誘発の緊張が森に波動する。

「鬼怒一族と有留一族の合言葉を言え」
 高原山猿王トネリは有留源一郎に迫った。
 
「ひえだみくりや、ひえだみくりや」
 有留源一郎は目を閉じ、両手で結界を験し、合言葉の呪文を唱えた。
 
「これにて疑いは晴れた。我ら、その子の高原山帰還を、ひたすら待っている」

 有留源一郎が指の結界と呪文をとき、眼を開いたとき、猿の群れは目の前から消えていた。
樹木の枝からも猿の群れは消えていた。山の空気は穏やかな静寂な森林へと転換されていた。
寛之は有留源一郎の後ろ、いつのまにか、草の上で眠っていた。有留源一郎は眠ったまま
の寛之を背におぶり、後ろに回した両手で、寛之の体を支えながら、高原山を降りていっ
た。道は寺山修司寺に登ってきた山道といつのまにか違っていた。迷ったのかもしれない。
寛之を背負う後ろの両手には、自分の旅行カバンと寛之の旅行カバンを持っていた。力が必
要だった。額と全身から汗が流れる。有留源一郎の背骨を感じ、眠っている寛之の肩には中
学生の布カバンが掛かっている。南方向に下界が見えてきた。矢板の町だった。有留源一郎
は高原山の麓の里、矢板市と塩原町の境界にある伊佐野村まで降りてくると、菓子屋の店先
にある公衆電話から、矢板駅前にあるタクシー会社に電話をかけ、タクシーを呼んだ。

 寛之は眠りから目覚め意識を回復させていた。覚えていたのは、有留源一郎の前に猿がい
たことだけだった。ふたりが矢板駅から上野行きの列車に乗ったのは、午後四時半だった。
広島県までは列車の旅だった。

 恵子は小学四年生へ、寛之は中学二年生へと進む矢先の出来事だった。早春の兄と妹の別れだった。


 高原山の猿と鎌倉寺山の猿は、これを機に固い同盟を結んだ。トネリの娘デイアは、同盟
契りの証として、ウガンセンの嫁となることになった。トネリは鎌倉寺山の猿が、原爆投下
による放射能によって、遺伝子が破壊され、子供が産まれてもすぐ死んでしまうことを、ウ
ガンセンから聞き、高原山と八溝山から選ばれた娘猿を十猿、ウガンセンに託すことにした。
鎌倉寺山の猿は子孫生存のため新しい血が必要だった。

「すまぬ、おれたち一族は何のお返しもできぬ」
 ウガンセンがトネリに恐縮してわびた。
 
「いや、あの子を、鬼怒一族の最後の人間を、鎌倉寺山にて守ってくれればそれでいい」
 トネリがウガンセンの心に応えた。
 
「我ら、トネリ殿のデイア姫と高原山と八溝山の娘猿を守り、無事、広島の鎌倉寺山に帰還
した後、鬼怒一族の最後の人間を守り、山県有朋一族から高原山を奪還するトネリ一族の悲
願達成を終生援軍するであろう」
 ウガンセンは鎌倉寺山の猿と高原山の猿、同盟軍の前で誓った。
 
 鎌倉寺山の猿はトネリの好意により、高原山裏、奥塩原の湯につかり、さらにそのルート
から奥那須の湯まで案内してもらい、原爆病にやられた遺伝子躯体を温泉で癒した。しばら
く高原山と那須山にウガンセン一族は逗留し、そしてディア、娘猿を守りながら鎌倉寺山へ
と帰還した。一年後、ウガンセンとデイアの息子ラフォーが産まれた。鎌倉寺山からのラフ
ォー誕生の報告を聞き、トネリは同盟契りの証に喜んだ。ラフォーは鎌倉寺山猿族の頭とな
るべくこの世に誕生した。ラフォーは青年になり、同盟契りの証として、高原山の娘猿アマ
テを嫁にもらった。アマテはラフォーの息子を産んだ。ラフォーは息子をディアラフォーと
名づけた。

 ディアラフォーが産まれた年の冬、ウガンセンは原爆の猿としてこの世から去った。死ぬ
前にラフォーに言った。

「鎌倉寺山の猿、原爆による生存継承の危機は、高原山の猿によって救われた。高原山から
来た女猿がわれらの子を産んでくれた。高原山との同盟契りは永遠に守るべし。我ら、後鳥
羽上皇、後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、帝を密かにお守りした猿の一族なり、その誇り
をけして絶やしてはならぬ。我らの神は猿田彦なり。高原山が山県有朋によって支配された
ように、ここ鎌倉寺山は明治の大帝へと成り上がった長州の大室寅之祐王朝によって絶対強
権によって支配された。そして広島に原爆が投下された。それを大室寅之祐王朝昭和ヒロヒ
トは、是認した。我ら鎌倉寺山猿の怨念はしかたがなかったではすまされぬ。我が亡き後、
かならず原爆を投下したアメリカに復讐するのだ。そのためには高原山の猿、トネリ一族の
協力を仰ぐのだ。わが遺言、トネリ殿に伝えよ。わが一族の復讐、必ず理解してくれるはず
だ」

 ウガンセンは日本猿として死んでいった。ウガンセンのなきがらを鎌倉寺山に埋めると、
たたちにラフォーは、妻アマテと産まれたばかりのディアラフォーを連れ、高原山へと向か
った。トネリはウガンセンの遺言をラフォーから聞き、「ウガンセン殿の無念、何代かかろ
うが、晴らそうぞ」と言った。人間離れした日本猿の復讐こそに、日本の神々、猿田彦の系
譜、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の御心があった。ラフォーは同盟誓いの証として、わが子ディ
アラフォーをトネリにさしだした。

 ディアラフォーはトネリの元で修行し、やがて高原山猿の棟梁になる運命となった。その
猿徳は八溝山にまで波及した。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】


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