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2006年11月14日 (火)

小説  新昆類  (38)  【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

 7

 関塚茂が運転し有留源一郎と渡辺寛之を乗せたトヨタワゴン・カルディナは、矢板IC
を降り片岡から旧国道四号線を北上した。内川の橋を越え右折し木幡の集落に入り、木幡
神社の駐車場に車をとめた。三人は鬼怒一族が創建したのにもかかわらず、わざと坂上田
村麻呂とその系譜である源氏の神社である記録させてきた木幡神社の石段を上がっていっ
た。本殿の前で三人は拍手をひとつ打ち、ていねいに頭を下げた。

 木幡神社から旧国道四号線に戻ったトヨタワゴン・カルディナは、水田稲作の田園地帯
から矢板の町に入り左手にある矢板市役所と右手にある矢板小学校を過ぎていった。交差
点を直進して塩原町方面へと走る。商店街には人が歩いていなかった。真夏のゴーストタ
ウンのようだと渡辺寛之と関塚茂は故郷を感じた。

 左手に寺山修司寺へ行く道が見えてきた。渡辺寛之はその方向を感慨深く見た。郷愁が
胸をしめつけてくる。妹の恵子に最後に会ったのは昭和五十二(一九七七)年の東京、春
爛漫だった。

 寛之は中学一年から中学二年に進級する春休みにその寺を出て以来、一度も帰っていなか
った。妹の恵子とも高校生までは手紙を出し合っていたが、矢板市と広島市は遠すぎた。
寛之が広島の高校から東京三田にあるNEC工場に就職してからは、恵子との文通も途絶
えていった。恵子は矢板東高校を卒業すると宇都宮大学の教育学部に入り、寺山修司寺地
元の小学校教師となった。その後、京都にある真言宗智山派総本山智積院で修行した僧を
婿にとった。恵子の婿は渡辺日義を継ぎ檀家から寺山修司寺の住職となることを約束され
ていた。寛之は寺山修司寺に住む恵子に会いたいという慕情が沸き起こったが会わないほ
うがいいとすぐさま慕情を打ち消した。成人してから恵子とは昭和五十二(一九七七)年
の春、一度だけ東京で会ったことがある。恵子は二十歳だった。寛之は二十四歳だった。
突然、寛之の職場に恵子から昼休み電話がかかってきた。

「恵子です。東京に出てきたのでお会いしたいのですが、仕事が終わってから会えないで
しょうか?」

 寛之は一瞬言葉が詰まった。何年も聞いていない声だった。そして声は子供ではなく大
人の声になっていた。寛之が今何処にいるのですかと聞いたら恵子は神田神保町の古本屋
街にいるといった。書籍を探しにやってきたのだといった。いつ帰るのかと寛之が聞いた
ら上野駅発の最終でと恵子が答えた。午後は何処に行くのかと寛之が聞いたら恵子は、神
保町の古本屋街で食事をしてから日比谷公園に行ってみるつもりだと答えた。それなら午
後六時に上野駅の上野公園開札口前にある東京文化会館のホール入り口で会おうと寛之は
恵子にいった。上野なら帰る時間を気にしないですむと恵子は承諾した。

「わたしは黒いコートを着たシーンズ姿でメガネをかけています、お兄さんは……?」

 恵子が質問したとき、寛之は中学生のとき恵子と別れてからの年月で胸が詰まった。記
憶の重力だった。

「おれは緑色のジャンパーを着ている。わかるから大丈夫だよ」

 上野公園開札口を出てすぐ前の東京文化会館に行くと、黒いコートを着た娘が立ってい
た。上野公園入り口の歩道は春爛漫で桜吹雪が夕風に舞っていた。久しぶりと寛之は笑顔
でその娘の前に立った。恵子はみずみずしい大きなくりくりとした新鮮な目を開いて寛之
を見つめた。

「メガネをかけていないじゃないか」

 そう寛之が恵子にいった。
 
「だってわたし小学生のときまだメガネをかけていなかったから……」

「そうかぁ……会えて嬉しいよ、大きくなったなぁ恵子……」

「お兄さんも……」そういって恵子は肩掛けバックからメガネを取り出し顔にかけた。

 美しい女になったと寛之は恵子を見て思った。ジーンズの腰周りが魅力的だった。
 
 寛之と恵子はそして沈黙した。十一年ぶりの兄と妹の再会だった。ふたりは桜が満開に
なった上野公園を歩きだした。

 日比谷公園には行ってきたのかと寛之が恵子に聞いたら、探していた書籍がなかなか見
つからなかったので午後一時ごろまで神保町の古本屋街を歩いて、それから上野公園に来たと
恵子はいった。上野で美術館めぐりが出来て楽しい時間を過ごせたと恵子ははずむ声で話
した。寛之はそれなら日比谷公園で食事をしようと恵子に提案し、恵子がぜひともと承諾
したので上野駅に引き返した。山手線に乗り有楽町で降り、日比谷の森へと歩いていった。

 今夜の日比谷公園はデモ隊ではなく恋人たちが歩く青春のエロスが支配していた。
大きな公園ねと恵子がいった。向こうにレストランがあると寛之がいった。日比谷松本楼
の明かりが見えてきた。二人は松本楼の店に入っていった。そして窓の席に着いた。窓か
ら有楽町方向にビルの明かりが見える。寛之はハンバーグステーキでいいかと恵子に聞き、
恵子がうなずいたのでそれを注文した。さらにお酒は飲めるかと恵子に聞き、恵子がすこ
しならと答えたので、ワイン赤を一本注文した。

 二人はお互いを見つめ会いながら食事をした。そして寛之も恵子も言葉を探すかのよう
にワインを飲んだ。

「素敵なお店ね……お兄さんとこうして会え、こうしてお食事ができるなんて……
お寺からお兄さんが出ていったのは、わたしがちょうど小学四年生になるとき……」

「そうだったな、おれは広島市の中学校に転校して、見知らぬ土地で生きるのに精一杯だ
ったよ。まさかおれが捨て子だったとはな、その事実を寺山の親父さんから告げられたと
きはショックで打ちのめされたな。おれは塩原の炭焼きの子であると告げられ、本当の父
も母もおれが生まれてからすぐに死亡したという話には、自分の運命に仰天したよ、寺山
修司寺にやってきた源一郎おじさんがおれの唯一の親戚だったから、おれは広島に行くし
かないと理解するしかなかったんだ。寺山修司寺には二度と戻れないとおれは悟ったんだ。
だから広島に行っても、矢板のことは過去のこととして忘れようとした。恵子から手紙が
来たがあまり返事は出せなかった、悪いと思っている。広島の高校を卒業してNECの工
場に就職してからは毎日忙しくてな、大学卒のやつらに負けないためには仕事が終わって
も寮で電気通信の勉強もしなくてはならなかったしな、本当に恵子に手紙を書く余裕など
なかったんだ、わかってくれよ。東京で生き抜くためには、過去を切って捨て、明日へと
前進していく闘争心がないと敗北してしまうんだ。会社は今、コンピュータ事業に向かっ
ているし生き残りが工場でのスローガンなんだ。学習しない者は敗北してしまうんだ、ま
るで戦争だよ。矢板はおれにとってもう過去の共同体なんだ。東京で生き抜くためには過
去の共同体を切り捨てながら戦闘していくしかないんだ。今、会社で奨励されている職場
学習文献はクラウゼヴィッツの戦争論なんだ、おれは岩波文庫に赤線を引きながら学習し
ているよ。会社はコンピュータ事業についてこられない社員はいらないという組織方針だ
から、たいへんだよ」

 寛之はワインを飲み干しながら一気に話した。
 
「たいへんなのね……戦争論なんてまるで新左翼の革命運動みたい」

 恵子がそう応えたので寛之はほんとだと笑った。恵子も笑った。
 
「恵子は何の本を探しに東京に来たの?」
 寛之が聞いた。
 
「田中正造に関する本を……今、栃木ではブームなの」
 恵子が答えた。
 
「足尾鉱毒事件で天皇に直訴した政治家だよね」
 寛之が質問すると、恵子がうなずいた。
 
「栃木県の近代史に興味があるの」
 だから田中正造なのかと寛之は納得した。
 
「古代には興味がないのか? たとえば寺山修司寺の歴史とか……」
 寛之は恵子の表情を読み取りながら質問した。
 
「矢板の郷土史も勉強するつもりよ、わたしお父さんと同じように学校の先生になるつも
りだから」
 恵子が答えた。目標がある人間で安心したよと寛之は笑顔で同意した。
 
「寺のお義父さんとお義母さんは元気なのか?」寛之が聞いた。

「ええ、元気よ」と恵子が答えた。安心したよと寛之はワインを飲んだ。

「捨て子のおれを戸籍に入れたままにしていてくれていることには感謝しているよ。
寺のお義父さんとお義母さんに応えることは、おれがしっかり生きていくことだと思って
いるんだ」

 寛之が話すと恵子は、お父さんもお母さんもわかっているわ、兄さんの様子は手紙で有
留源一郎さんからそのつど知らされてきたから、寛之は一生懸命がんばっているといつも
お父さんにわたし聞かされていたわと寛之に伝えた。

 時刻は日比谷松本楼の閉店、夜の九時に近づいてきた。お客が帰りはじめたので寛之は、
レジで清算をしに立ち上がった。二人は松本楼の店を出て、暗い日比谷公園の森を歩いて
いく。ベンチには熱い恋人たちが溜息を外にだしながら抱擁している。日比谷はすでに恋
人たちの逢瀬の森だった。夜の恋人たちのなかを歩く恵子と寛之はいつかその雰囲気に呑
まれていった。恵子が寛之の手を握り頭を寄せてきた。酔ったみたいと恵子が吐息を出し
た。森は春爛漫、花と若葉の生殖の匂いに包まれている。

 ベンチに座りたかったがすでにそこは恋人たちに占領されていたので、
寛之は恵子の手を握り樹木の中へと入っていった。

 寛之は恵子のからだを抱きながら樹木の幹に押し付け、その唇を奪おうとした。いけない
…と恵子がささやいた。わたしたち兄と妹なのに…そう恵子は顔を横にずらした。

 月明かりに恵子の髪が白い顔にかかっている。髪のあいだから見える紅い唇がふるえてい
る。寛之は恵子のメガネをはずし彼女のコートのポケットの中に入れた。そしてきれいだ
よと恵子の耳にささやいた。

「おれはもう寺に生涯帰ることはない、だからおれと恵子はもう兄妹ではないんだ……」
 寛之は息で恵子の耳に言葉を入れた。
 
「そんな…」と恵子が唇を拒否する身振りをしながら腰を寛之に押し付けてくる。
寛之はついに恵子の唇を奪った。甘い感触、そして恵子のからだから甘い香りが上昇して
くる。

「会いたかった……とても……」
 目を閉じた恵子のまつげが濡れ、涙が頬を伝わった。
 
「恵子…おれもだ」

 寛之は愛しさの海におぼれ恵子を強く抱きしめた。うれしいと恵子が歓喜の息をはいた。
 二人は日比谷の森を抜け、日比谷通りに出た。横断歩道を渡り、有楽町駅への道を手を
つなながら歩いていく。ビル街から春の夜風が恵子のコートを羽ばたかせた。恵子は立ち
止まった。

「寛之兄さん……」

「どうした?」
 寛之が振り向く。
 
「帰りたくない……」
 恵子は決意をこめて寛之に投げかけた。
 
「いいのか?」
 寛之が聞くと恵子はまっすぐ寛之の顔を見てうなづいた。
 
「おれのアパートに泊まればいい、汚いところだけど……」

 寛之は恵子の手を握ると恵子が強く握り返した。有楽町駅の時計の針は十時を刻んでい
た。

「五反田駅で降りるから……」
 寛之は恵子に行き先を告げ、切符を二枚買い、一枚を恵子に渡した。
 二人は有楽町駅から山手線に乗った。
 
「お義父さんとお義母さんは心配しないのか?」
 電車が動き出してから寛之は恵子に質問した。
 
「わたしは宇都宮大近くのアパートに住んでいるの、寺山からは宇都宮に通えないから。
今日は宇都宮に帰るつもりで東京に来たから大丈夫。わたし、もう二十歳よ」
 恵子が笑顔で答えた。そうか……と寛之はあらためて恵子を見た。
 
 二人は五反田駅で山手線を降り、地下鉄の都営浅草線に乗り換えた。行く先は戸越駅だ
った。地下鉄の戸越駅を降りると二人は東急線の戸越公園駅方面に歩いていった。

 戸越公園駅の踏み切りを渡り、商店街から右折し路地に入ると二階建ての木造アパートが
いくつも並んでいた。すこし歩くと桃源という中華料理店があった。その隣の二階建ての
木造アパートに寛之の部屋があった。恵子は寛之の後から階段を登った。ギシギシと音が
した。二階に上がり二つ目の部屋のドアを寛之はカギを回し開けた。部屋の蛍光灯をつけ、
入れよと恵子に云った。

 六畳の部屋には玄関口にちいさな台所があった。そして部屋の中央には電気コタツがあ
った。

「今、湯を沸かす、寒いからコタツをつけてくないか」
 寛之は恵子に云った。恵子は電気コタツのスイッチを探し、スイッチを入れると、本棚
にある本を見渡した。スチールの本棚がふたつあり、ぎっしりと本が並んでいた。電気通
信関係の本が多く、昆虫ゴキブリ生態学という変な本もあった。勉強しているのね、恵子
が云った。

「おれはウィスキーを飲むけど恵子はどうする」
わたしはお茶でいいと恵子は遠慮した。

 外は夜の春風が吹いている。ガラス窓が音を立てていた。寛之は恵子にお茶を出し、自分
はグラスにサントリーウィスキーレッドを入れ、お湯割りにした。恵子は寛之の顔を見て
いる。どうしたと寛之が聞く。恵子が顔をうなだれたとき髪が額から鼻にかかった。美し
いと寛之は思った。

「わたしね、大学を卒業したら結婚するの」恵子がぽつりとつぶやいた。

「寺を守るために、京都の総本山から修行僧をお婿さんとして迎えるの」
 恵子はおのれの定められた未来を語った。
 
「そうか……恵子もたいへんだな」寛之が同情する。

「実は……おれも結婚相手が決まっているんだ。広島の有留源一郎おじさんの長女で真知
子という人なんだけど、おれの年上なんだ。おれは有留の家で中学二年のときから育てら
れ高校も出してもらったから、有留の家に婿に入るようなもんだよ」
 今度は寛之が自分の定められた未来を説明した。
 
 いつ結婚するの? と恵子が聞いた。二年後、おれが二十六になってからだよと寛之が
答えた。

「わたしが結婚する時期と同じ頃に兄さんも結婚するのね」
 恵子は電気コタツのテーブルをうつろに見ながら暗い声で云った。
 
「おれは高原山奥で炭焼きをしていた原住民の捨て子だからな……
本当は中卒で社会に出なくてはならなかったんだけど、工業高校も出してくれて、NEC
にも就職できたしな、寺山修司寺と有留源一郎おじさんのおかげで生きてこられたんだか
らな、おれの結婚はご恩返しみたいなもんだよ、おれが源一郎おじさんの娘と結婚すれば、
寺山のお義父さんもお義母さんも安心してくれると思うしな、定められた運命にまかせる
しかないよな」
 寛之はお湯割りのウィスキーを呑みながら話した。
 
「重い運命……運命を裏切ったらどうなるのかしら……」恵子はお茶を飲みながら云った。
「運命を裏ぎる……考えたこともないよ」寛之はゆっくりとした口調で返した。

 ふたりはやがて無言になり、沈黙の時間に風が止まった。恵子はメガネをはずし電気コ
タツのテーブルに置いた。

「運命はつながらないのね」

  恵子がつぶやいた。ちいさな肩がふるえていた。その肩を寛之は抱きしめた。寛之は恵
子の体をゆっくり押し倒し、両手で恵子の黒髪を撫でながら、恵子の唇に自分の唇を重ねた。
春爛漫の若い女と男の肉体の饗宴の幕が切って落とされた。夜の帳が春の風に波打った。
恵子の選択は、寛之との一生の思い出をつくるためにあった。一夜の契りは情熱の実証と
なった。一夜の思い出を根拠地にして、女は生活者となって生涯を貫いていく。恵子の
覚悟の総量を寛之は理解できなかった。ただ恵子の服のボタンをはずしながら、脱がし、
恵子の甘酸っぱい愛の匂い、恵子の柔らかな弾んだ艶のある白い肉体に夢中となって、快
楽と身体共鳴感覚に酔い、恵子の中心への男根を挿入していった。恵子の透き通った肌に
は紫色の血管が脈を打っていた。

 寛之が恵子の乳首を唇と舌で吸ったとき、恵子の生命潮流である動物的本能が覚醒した。
恵子は初めて乳首を他者の唇で吸われた。乳首こそは生物本能の処女地だった。

 恵子の体に熱い血潮が底から上昇する。恵子の肉体は海流となり、海底火山が爆発へと
構え溶岩が火山口から溢れ出ようとしている。熱い溶岩こそ愛液だった。男と女は津軽海
峡だった。沈黙のなか、体は熱く燃えていた。指が曲線の山並みを愛撫していく。


 突然、寛之は「もし、子供が出来てしまったら」という恐怖に襲われた。脳細胞の奥か
ら、明日をシュミレーションする理性と論理思考の声がしてきた。あわてて、寛之は勃起
したきんたまを恵子のおまんこから抜いた。

「できない、おれにはできない、寺山修司寺のお義母さんとお義父さんを裏切ることは、
できない。もし恵子におれの子供ができたら、おれの二の舞だ。苦労を背負う子供にな
る」

 男が女とのセックスによせる恐怖はいつも妊娠への恐怖だった。男の精液と精子は
女の卵へと泳ぐ種だった。おのれの精液を女の子宮へと発射することに恐怖する、あら
かじめ男は見えない子供の誕生におのれの人生と未来が規定されていた。

 ムードをだいなしにして壊した、寛之の豹変に恵子は上半身を起こして怒った。
 
「わたし、帰る」

「こんな夜更けに、もう帰れないよ、恵子」

 恵子は黙っている。
 
「ゴムを買ってくる」
 寛之はパンツとズボンをはき、ジャンパーを着ると、サイフを手に持ち、木製のドアで
ある引き戸を開けた。そして階段を降り、ゴム草履をはくと、戸越公園駅商店街へと走っ
ていった。あの薬屋にコンドームの自動販売機があったはずだ。

 薬屋の自動販売機でゴムを購入した寛之は、急いでアパートの部屋に戻った。恵子はコ
タツに入り、横を向いていた。顔はうつむき、黒髪がかかっていた。黒いコートを羽織っ
ていた。その姿が寛之は美しいと思った。黙ったまま、勃起した男根に寛之はコンドーム
をかぶせると、再度、恵子のふるえる肩を抱き、恵子の紅い唇を吸った。そのままふたり
の上半身は畳の上に、ゆっくりと寝ていく。恵子は目をつぶったままだった。ただ寛之の
抱擁に身を託していた。運命を裏切る夜の儀式だった。かえってその不倫理がふたりを燃
えさせた。内なる肉体の氾濫、恵子は気持ちいい感官の旅に出た。夜の官能の音楽、肌の
調べ。男と女の肌の摩擦は熱帯のリズムとなっていく。ふたりは兄と妹、幼馴染だった。
倫理は肉体の饗宴とともに溶解し、夜の快楽の間口へと遊泳していった。

 恵子の処女膜は開いていった。「ウッ」と叫びながら寛之は、恵子のなかで精液を発射
した。恵子は涙を流していた。その涙の意味を理解することが寛之にはできなかった。い
つも男は女の肉体の前で幼かった。爆発のあとの虚脱を寛之は恵子の上で感じていた。

 寛之の重力を恵子は感じていた。いつか思い出の記憶の重力になるはずだった。寛之が
恵子のおまんこからきんたまを抜いたとき、コンドームの先に恵子が流した血が付着して
いた。

「血だ……」
 寛之は声も出さず言った。処女地が流した血だった。恵子が心配になった。

 寛之はテッシュで紅い血を流した恵子の中心部をテッシュでふきとった。恵子は恥ずか
しさに片手で顔をおおっていた。寛之は男根からコンドームをはずし、テッシュで包み、
ゴミカゴに入れた。恵子は泣いていた。その涙の意味を寛之は理解することができなかっ
た。

 寝よう、そういって、寛之は布団を押入れから出して敷いた。そして寛之は裸になった。
布団は一組しかないので、ふたりで抱き合って寝ることになる。恵子も裸になって布団の
上に座った。恥ずかしさに後ろを向いている。背中から腰に流れる曲線に寛之は魅せられ
ていた。なんという美しい曲線だろう。女の曲線は男を美の感動につつみこんだ。女の裸、
その後ろ姿には自然の曲線美があった。男の本能は女の曲線に敏感だった。女は男の気持
ちたる心を探ろうとする。男は女の外形たる曲線を指で探っていく。男はいつも女の裸に
は関心あるが女の心と感情には無関心だった。男は女の話が聴けない、女の感情を読むこ
とはできない。男は永遠に女が理解できない。日本の女は孤独だった。

 布団に入ってからも恵子は泣いていた。寛之は恵子の黒髪を撫でながら、腕枕をしてや
った。再び会い再び別れる重さが寛之の感情をつまらせた。寛之の目頭から涙が出てきた。
ふたりは泣きながら抱き合っていた。うしろを向いた恵子は、小さい声で、お願い入れて
…といった。

 兄さんのを中で感じたまま眠りたいの…と恵子は哀願した。寛之は半たちのきんたまを、
うしろから恵子のおまんこに挿入してあげた。恵子は背中で寛之の胸の筋肉を感じていた。
恵子の背中と腰、それを後ろから抱く寛之、その熱い血潮の肌と肌の間から高原山の若木
が芽を出す、緑の幻視を恵子は見ていた。エロスの樹木液、そしてそのまま恵子は宇宙銀
河を思い浮かべた。星と星は出合い別れていく。女の夢は液体だった。恵子の脳内から出
た睡眠薬が身体に回り、恵子はすやすやと安心して眠りに没入していった。恵子の睡眠音
その呼吸を聞きながら寛之も睡魔にゆだねていった。

 早朝五時、寛之の意識が起き出す前に、きんたまは意識とは無関係に朝勃起していた。
きんたまの朝立ちだった。恵子もまだ眠っているにかかわらず、クリトルスは勃起しめく
れあがり、おまんこは開いていた。潤滑油である愛液はそんつど奥から配給されていた。
寛之のきんたまは恵子のおまんこの中で固く膨張をはじめドクンドクンと血管から海綿体
にエネルギーが送りだせれていく。ピクンピクンと蠢動している。きんたまの自立起動は
寛之が人間であるまえに生き物、動物である証だった。恵子のおまんこも寛之のきんたま
の固い膨張にあわせ、開いていく。ピクンピクンと律動していく。愛の性器官はそれ自身
が中枢回路を持ち、脳細胞からどんな麻薬もかなわない快楽物質を分泌していた。

 眠っているにもかかわらず寛之と恵子の腰は和太鼓のリズムのように、いつのまにか律
動していた。きんたまが精液を発射する寸前で、寛之は目を覚ました。あわてて寛之は恵
子のおまんこからきんたまを抜いた。そして恵子の白くまるいおしりに精液をぶちまけて
しまった。恵子のおまんこはピクンピクンと律動している。恵子はまだ眠っている。寛之
は、テッシュで恵子のおしりにかかったおのれの精液をふき取った。そしておのれのきん
たまも拭き、その上からコンドームを被せた。出勤前の朝の愛の営みが始まった。恵子も
寛之の唇と愛無で眠りから起きだした。夜よりも激情な朝の真具合、男と女の摩擦は太陽
よりも熱があった。こすれ合いを愛液が満たしていった。寛之のきんたまは恵子のおまん
こに吸引され、寛之は恵子の宇宙のなかを遊泳していった。肉体の結合に壁は溶解してい
った。どこまでも深い愛の海綿体宇宙だった。

 寛之と恵子は一緒にアパートを出た。戸越駅から五反田駅まで地下鉄に乗り、五反田駅
で上野行きの山手線に乗った。通勤電車は混雑していた。離れまいと寛之はしっかりと恵
子の手を握っていた。とうとう電車は、NEC工場がある田町駅に着いてしまった。元気
でな、寛之は恵子を励ましながら手を強く握った。恵子は寛之をしかっり見つめていた。
そして手を離した。ドアが開き朝の戦争、労働者階級が外へ波のように押し出てくる。恵
子の視線は一心に寛之の背中を追いかけていた。

 電車は田町駅を離れ浜松町駅へと滑走していった。さようなら、恵子は心の中で叫んで
いた。わたしは思い出を体のなかに入れ、大人の女になった、何があろうと、運命がつな
がった一夜の思い出を根拠地にして生きていける、そう恵子は強い心で思った。一期一会
という言葉は恵子にとって肉体の思想となった。故郷が思想であるように……寛之に上か
ら抱かれた重力は記憶の物質となった。


 運命……あのとき確か恵子はそう云っていた。重い一九七七年の再会だった。寛之は車
のなかで煙草を吸いながら過去の妹と対話していたが、目の前にそびえる高原山に心が高
揚しおれの出自とおのれの運命を再確認した。おれは高原山の鬼怒一族なのだと……

 関塚茂が運転するトヨタワゴン・カルディナは塩原町との境界付近で山縣有朋記念館へ
の道へと左折した。山縣有朋記念館が広大な山縣農場の中に見えてきた。そこは伊佐野と
呼ばれていた。後ろの席では有留源一郎が眠っていた。高原山に太陽が沈み真夏の夕焼け
が空を燃やしている。

「篠原も畑となる世の伊佐野山  みどりにこもる杉にひのきに」山縣有朋

 山縣農場は明治十九(一八九四)年、山県有朋に明治政府から格安で払い下げられた場
所だった。明治維新政府は全国の山地を収奪し、それを天皇と維新軍閥がおのれの私有地
にしていった。

 平成十七(二〇〇五)年に有留源一郎は栃木県矢板市高原山ふもとにある山縣農場の四
百ヘクタールのうち、百ヘクタールを買収することに成功していた。農場といってもほと
んど山林だった。買収の資金は有留一族が古代から鎌倉寺山の隠し場所に蓄財してきた黄
金色の金だった。

 車は上伊佐野から下伊佐野に抜け、高原山の山林に入った。そこはもう有留源一郎が山
縣農場から買収した土地だった。

「車を止めるのじゃ」と有留源一郎は関塚茂に命令した。

 トヨタワゴン・カルディナは高原山の山林に止まる。
「降りるのじゃ、高原山の猿王トネリがワシらを待っている」有留源一郎が壮言な声で命
令した。三人が車から外へ出ると、猿の群れが山林から姿を現した。前に進み出た老猿は
かつてのトネリだった。

「約束は守られた。よくぞ高原山に帰還した。紹介しよう。我の後を継ぐディアラフォー
だ。我が亡き後はこのディアラフォーが、お前たちを守る」

 トネリは阿頼耶識において有留源一郎の意識化の意識に告げた。
 
 有留源一郎はしっかりとトネリの横にいるディアラフォーの雄姿を見た。猿の戦士の風
格がディアラフォーの頭上にあった。猿の群れを前にした寛之の脳裏に、中学二年になる
前の早春、寺山修司寺を去ったときの記憶の重力が起動した。関塚茂は有留源一郎と寛之
の後ろで呆然と猿の軍団と対峙していた。

 有留源一郎は両手の指で結界をつくり、意味不明の言葉を発した。
 
「ひえだみくりや、ひえだみくりや、でぃあらふぉー、うがんせん」

 疾風のように猿の軍団は消えていた。残響は山林の静寂のみだった。

 高い樹木に囲まれた山道、脇道へ入ると、別荘のような建物があった。車はそこで止ま
った。車から降りた関塚茂と渡辺寛之、そして有留源一郎はゆっくりと建物の中に入って
いった。後からここへ、関塚みどりが運転し泥荒と渡辺真知子を乗せたトラックもやって
くるはずだった。高原山の麓で2015年体制への準備が開始され、静かにもうひとつの
日本が進行していた。建物のなかの一部屋はもちろん新昆類の新世代が蠢いている蚕場で
もあった。新昆類の羽は閉ざされた部屋から新世界に飛び出したくてうずうずしていた。
台所では関塚茂とめぐみの長女、真由美が夕食を作っていた。真由美は神奈川県庁の仕事
を有給休暇で休み、一足先に別荘に来ていた。


【第1回日本経済新聞小説大賞 第1次予選落選】

 
小坂 祐弘
松本楼の歩み―日比谷公園と共に七十年 (1973年)
内村 直之
われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで
 
類猿人ターザン[DVD]
朝日新聞社, 国立科学博物館
中国の恐竜展―魚類から猿人までの4億年 (1981年)
山本 夏彦
男女の仲 文春新書
斎藤 美奈子
男女という制度
 
鹿嶋 敬
男女摩擦
田中 冨久子
脳の進化学―男女の脳はなぜ違うのか
村松 泰子, ヒラリア ゴスマン, Hilaria G¨ossmann
メディアがつくるジェンダー―日独の男女・家族像を読みとく
鈴木 晶, Erich Fromm, エーリッヒ・フロム
愛するということ
Andrew Stanway, 早野 依子
ラヴァーズ・ガイド―究極の愛のすべて…愛する人々へのメッセージ
倉田 真澄, 木村 了子
ROSE もっと深い愛のカタチ
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