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2006年11月25日 (土)

小説  新昆類  (22) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

 みすぼらしくきたならしい現実に生き、貨幣がなければ路上街頭生活へと追放され死ん
でいく、内部をもたぬ貨幣という数字に徹頭徹尾規定され、内部をむたぬ数字によってお
のれの生死の条件を、生活において制約されているものこそ、プロレタリアートである。
これが内部をもたぬ最後の人間として世界市場に接続している。この世界はいつのまにか
資本と商品によって脈管が形成されてきた。これが二十世紀であった。自然もまた商品で
あった。これが現在の世界システムであり、USAには資本の国家・多国籍企業が中央集
権としてアップロードする利潤をわがものにすることのできる皇帝が幾人も住んでいる。
皇帝と労働力商品としての奴隷の関係は古代いらい変わりはない。商品とはダウンロード
であるが資本とはアップロードである。

 みすぼらしくきたならしく矮小であり卑屈なわれわれ市民が、マルクスの言葉に出会う
とき。もう、いやだ。もう、こりごりだ。ちくしょう。ちくしょうめ。くそったれ。あの
やろう。バカにしやがって。殺してやる。なめるなよ。いまに、みてろ。だめだ。
だめだ。もう、おれはだめだ。なんてぇ、こった。ちくしょう。これが、おれの人生か。
負け犬になってたまるか。その前にあいつを、ぶっ殺してやる。マルクスの言葉はこうい
ったむきだしの世界市場の表層から、おのれが商品であったことを自覚させ、階級と階級
のはざまの眠りから、階級形成への登山、その一歩を開始させるのである。

 世界市場とは強制収容所であり、スピーカーからウィルスイデオロギーの演説が流れる
と、囚人たちは感動に涙した。偽りの市場主義イデオロギーは葬られた。強制収容所はス
トップした。市場経済自由化の失敗である。囚人にとっていま必要なのは、リスクを恐れ
ず思考錯誤を繰り返すことだ。九十年代とはクリントン政権のもとでユダヤ金融ネットワ
ークがグローバルの名のもと、全世界プロレタリアートを囚人とした、強制収容所からの
大量虐殺への逆襲である。九十年代とはユダヤ自己遺伝子と模倣子が世界市場を制覇し全
面展開した十年間であった。ゆえに文明の衝突としてのユダヤ人問題。ユダヤ人がバビロ
ン帝国の奴隷からはじまり、エジプト帝国の奴隷、そしてローマ帝国の奴隷からヨーロッ
パの奴隷、商品創造と金融創造の能力があるゆえ、どこの帝国においても財政を担当させ
られ、庶民から嫉妬され、ゲットーに囲い込まれてきた。

 ゲットーとは強制収容所である。資本主義の勃興とともにユダヤ人はゲットーから国家
財政さえも左右できる存在となり、ヨーロッパはユダヤ人問題に頭を悩ます。その最終解
決を施行したのがナチスであった。ユダヤ人を強制収容所のガス室へおくりこんだのはヨ
ーロッパ民族資本主義の総体の意志であったことを忘れてはならない。ゆえに能力がある
ユダヤ人はUSAへ亡命した。そして第二次世界大戦から五十年をかけて世界資本主義を
製造の商品から金融商品へと転覆したのである。九十年代はその爆発であった。イスラエ
ルがイギリスとの武装闘争で独立を勝ち取ったように、ついに金融世界市場においてユダ
ヤはアングロサクソンから独立し、おのれの動物的本能である自己遺伝子にとりこみ、グ
ローバル金融世界市場を模倣子が全面展開する養豚所としたのである。すでに日本が誇る
庶民の貯蓄資産がかれらによって収奪されているのは自明である。いまとはユダヤ五千年
と中華五千年の文明間闘争の季節であり、これが二十一世紀ゼロ年代としての十年間であ
ろう。一方がドイツファシストによって大量虐殺された悲惨な歴史をもつなら、中国も日
本ファシストによって侵略され千万人以上が大量虐殺された悲惨な歴史を内包している。
つまり堂々と歴史を語れる子孫たちなのだ。歴史を語れるものこそがグローバル市場へと
命がけの飛躍ができる。

 ソ連解体後、ユダヤ人はロシアからイスラエルあるいはUSAへ転出していったが、そ
の後、ロシアは機能を停止し、世界市場から見放された事実を、もってしても、いかにユ
ダヤ人の能力がその国のシステムを担っていたかがわかる。

 すでにファシズム同盟国に勝利した第二次世界大戦のイギリス・USA二重帝国の正義
英雄物語は九十年代にすたれてしまっていた。かわりに登場したのがユダヤ人が過酷な強
制収容所で「どう生き延びた」かである。これが、労働力商品としてリストラの嵐からど
う生き延びるかをめぐる世界プロレタリアートにとって、身近な問題として受け入れられ
た。強制収容所ではまさに人間のからだから石鹸や数々の商品を生産するという資本主義
の極限を誕生させた。市場の選民たるユダヤ人がその商品原料となったことば文明の皮肉
である。こうした修羅場での商品生成を死の恐怖が日常であった現場を通貨したユダヤ人
のグローバル金融戦略とネットワークがいかなるものかは、われわれの想像を絶するだろ
う。資本主義とは商品と消費の関係であり、つぎなる商品を消費してもらうためには、こ
れまでの世界を破壊しなくてはならない、それが戦争である。

 戦争は世界恐慌という形でもあらわれる。一度ご破算にするのだ。やがてくる世界恐慌
は、アングロサクソンの二十世紀形態をご破算にするに違いない。グローバル世界資本主
義とは富の一極集中であり、そこにおける金融商品の瞬時のマネーゲームなのだ。ロシア
革命七十年で蓄積してきたソ連の富は、USAの巨大資本家に回収され、九七年東アジア
金融危機においても富は、USAのある頂点へと回収されていった。高度経済成長の過酷
な労働で死亡するほど働いて形成した日本全般の富も九十年代においてUSAの富豪に回
収されてしまった。日本に残ったのは砂漠の富としての天文学的な国家財政赤字である。
今日の世界市場とは冷酷にして富がひとりに集中する一人勝ちのシステムなのである。ゆ
えに資本原理はマルクス資本論以上に原理化しているのだ。これに対抗するために、西ヨ
ーロッパはEC統合としてユーロを形成した。ひとりの富のために全世界プロレタリアー
トは労働する商品となる、これを帝国主義市場原理という。資本主義の極限を通過した工
場制度こそ強制収容所であり、人間はいまなお商品なのである。

 われわれ市民の日常とは、もう、いやだ、もう、いやだと思いながら毎朝、決意をこめ
て肉体知覚を武装し、おそろしい人間関係の現場で、無から有を生み出す商品誕生のため
に格闘する。これが表層であり現実原則である。自分の肉体におのれみずからムチをうっ
て自己動員しなければ、家賃も払えず、路頭に投げ出される。

 われわれ市民の壁とは世界市場であり、われわれの内部とは市場の競争と戦争に規定さ
れ、全面的にシステム設定されている。内部とは商品を手に入れることによって誕生し、
喜怒哀楽とは交換によって規定された感情である。興奮と幻滅とは交換であり、実はセッ
クスも商品と商品の交換である。恋愛も商品と商品の回路である。かくしてマルクス唯物
論は商品を解明し、資本主義からどう人間が脱構築できるのかを人間的社会あるいは社会
化された人類の表層において探求する。

 それまでの哲学は現実を人間的あまりに人間的に自己解釈してきた。民族言語たる動物
的本能たる自己遺伝子と模倣子の内部たる深層の神学にとりこまれてきた。マルクスはこ
れを商品の解明において表層へと転倒したのである。自然的人間は商品へと進化した、こ
れが近代から今日の戦争と革命の世紀であった。人類とは商品である、これが資本主義文
明である。そこにおける民族主義とは世界市場に規定された商品と商品の差別化と差異を
ありあまるほどに主張しているのだ。イデオロギーもまた、ヘーゲルがそうであったよう
に世界市場に対抗する商品である。ゆえに世界市場の戦争と革命は民族および部族戦争と
して現出する。今日のアフリカ現象こそがわれわれ市民の未来を先取りしている。文明と
はやはり砂塵へと帰還するのだろうか?

 ユダヤ教徒はヨーロッパキリスト教世界そのものを信用していない。いつまた再び自分
たちがキリスト教徒にだまされて強制収容所送りになるかもしれない恐怖をもっている。
ゆえにソビエト連邦が崩壊したとき、ドイツ全体主義の暴力としての反復が自分たちに襲
いかかるであろうことを予測して、イスラエルヘ集団移住したのである。ヨーロッパ・キ
リスト教世界はすべてユダヤ人迫害をドイツに罪と背負わせ、いまなお、歴史的謝罪はユ
ダヤ教徒世界にしていない。キリストを裏切ったのはユダとされ、この神話はいまなおキ
リスト教徒世界の根源的物語である。九十年代はユダヤがクリントン政権にのり、金融ネ
ットワークによって、資本主義をユダヤ原理主義へと誘導したのである。

 それが文明の衝突であり五千年の民族歴史が内包されている。ゆえに世界とはおそろし
いのである。ユダヤ人が金融において強いのは「ある民族が生き長らえる秘密は敗北を受
け入れるその能力にある」という一点にある。そして九十年代の金融マネーゲームはつい
国民国家を商品として生成した。資本主義はまさに、地球規模となって、国家は商品とし
て格付けされるのである。一九七二年固定相場から変動相場に転換してから三十年が経と
うとしている。 





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】



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大沢 武男
ユダヤ人ゲットー
重信 メイ
中東のゲットーから
フランク・ダバ スミス, Frank Dabba Smith, Howard Jacobson, 落合 恵子, メンデル グロスマン, ハワード ヤコブソン
シークレット・カメラ―ユダヤ人隔離居住区ルージ・ゲットーの記録
田村 和子, 山本 耕二
生きのびる―クラクフとユダヤ人
ケネス・B・クラーク, 今野 敏彦
アメリカ黒人の叫び―ダーク・ゲットー
山下 肇
近代ドイツ・ユダヤ精神史研究―ゲットーからヨーロッパへ (1980年)
ルイス・ワース, 今野 敏彦
ユダヤ人問題の原型・ゲットー
エマヌエル リンゲルブルム, ジェイコブ スローン, Emmanuel Ringelblum, Jacob Sloan, 大島 かおり
ワルシャワ・ゲットー―捕囚1940‐42のノート
エドワルド デル・リウス, 山崎 カヲル
新版 リウスのパレスチナ問題入門
伊藤 定良
ドイツの長い一九世紀―ドイツ人・ポーランド人・ユダヤ人
鹿島 〓
秦始皇帝とユダヤ人―人民中国の教科書問題
阪東 宏
日本のユダヤ人政策1931‐1945―外交史料館文書「ユダヤ人問題」から
本間 長世
ユダヤ系アメリカ人―偉大な成功物語のジレンマ
エンツォ トラヴェルソ, Enzo Traverso, 宇京 頼三
マルクス主義者とユダヤ問題―ある論争の歴史(1843‐1943年)
マルクス, 久留間 鮫造, 細川 嘉六
猶太人問題を論ず
森沢 典子
パレスチナが見たい
今 拓海
地図にない国からのシュート-サッカー・パレスチナ代表の闘い-
ヒュー・マイルズ, 河野 純治
アルジャジーラ 報道の戦争すべてを敵に回したテレビ局の果てしなき闘い
田中 宇
イラク
坂本 勉
トルコ民族主義
イクバール アフマド, デイヴィッド バーサミアン, Eqbal Ahmad, David Barsamian, 大橋 洋一, 大貫 隆史, 河野 真太郎
帝国との対決―イクバール・アフマド発言集
ラフール マハジャン, 益岡 賢, いけだ よしこ
ファルージャ 2004年4月
吉田 鈴香
アマチュアはイラクに入るな―プロのNGOが紛争地でやっていること
片倉 もとこ
アラビア・ノート
ポール ランディ, 小杉 泰
イスラーム
バーナード ルイス, Bernard Lewis, 白須 英子
イスラーム世界の二千年―文明の十字路 中東全史
土井 敏邦
米軍はイラクで何をしたのか―ファルージャと刑務所での証言から
長倉 洋海
マスードの戦い
師岡 カリーマ・エルサムニー
恋するアラブ人
落合 信彦
憎しみの大地―落合信彦選集〈11〉
藤井 純夫
ムギとヒツジの考古学
遠山 敦子
トルコ 世紀のはざまで
リバーベンド, Riverbend, リバーベンドプロジェクト
バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記
シャーロット アルデブロン, Charlotte Aldebron, 森住 卓
私たちはいま、イラクにいます
アルバート ホーラーニー, Albert Hourani, 湯川 武, 阿久津 正幸
アラブの人々の歴史
イブン アッティクタカー, 池田 修, 岡本 久美子
アルファフリー〈2〉イスラームの君主論と諸王朝史
NHKスペシャル「イスラム」プロジェクト
イスラム潮流
片倉 もとこ, 後藤 明, 中村 光男, 加賀谷 寛, 内藤 正典
イスラーム世界事典
片倉 もとこ
「移動文化」考―イスラームの世界をたずねて
スラヴォイ・ジジェク, 松本 潤一郎, 白井 聡, 比嘉 徹徳
イラク
森住 卓
イラク 占領と核汚染

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